モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466
(P)アルトゥール・ルービンシュタイン アルフレッド・ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1961年3月31日
Mozart:Piano Concerto No.20 in D minor, K.466 [1.Allegro]
Mozart:Piano Concerto No.20 in D minor, K.466 [2.Romance]
Mozart:Piano Concerto No.20 in D minor, K.466 [3.Allegro assai]
こににも一つの断層が口を開けています
この前作である第19番のコンチェルトと比べると、この両者の間には「断層」とよぶしかないほどの距離を感じます。ところがこの両者は、創作時期においてわずか2ヶ月ほどしか隔たっていません。
モーツァルトにとってピアノ協奏曲は貴重な商売道具でした。
特にザルツブルグの大司教との確執からウィーンに飛び出してからは、お金持ちを相手にした「予約演奏会」は貴重な財源でした。当時の音楽会は何よりも個人の名人芸を楽しむものでしたから、オペラのアリアやピアノコンチェルトこそが花形であり、かつての神童モーツァルトのピアノ演奏は最大の売り物でした。
1781年にザルツブルグを飛び出したモーツァルトはピアノ教師として生計を維持しながら、続く82年から演奏家として活発な演奏会をこなしていきます。そして演奏会のたびに目玉となる新曲のコンチェルトを作曲しました。
それが、ケッヘル番号で言うと、K413?K459に至る9曲のコンチェルトです。それらは、当時の聴衆の好みを反映したもので、明るく、口当たりのよい作品ですが、今日では「深みに欠ける」と評されるものです。
ところが、このK466のニ短調のコンチェルトは、そういう一連の作品とは全く様相を異にしています。
弦のシンコペーションにのって低声部が重々しく歌い出すオープニングは、まさにあの暗鬱なオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の世界を連想させます。そこには愛想の良い微笑みも、口当たりのよいメロディもありません。
それは、ピアノ協奏曲というジャンルが、ピアノニストの名人芸を披露するだけの「なぐさみ」ものから、作曲家の全人格を表現する「芸術作品」へと飛躍した瞬間でした。
それ以後にモーツァルトが生み出さしたコンチェルトは、どれもが素晴らしい第1楽章と、歌心に満ちあふれた第2楽章を持つ作品ばかりであり、その流れはベートーベンへと受け継がれて、それ以後のコンサートプログラムの中核をなすジャンルとして確立されていきます。
しかし、モーツァルトはあまりにも時代を飛び越えすぎたようで、その様な作品を当時の聴衆は受け入れることができなかったようです。このような「重すぎる」ピアノコンチェルトは奇異な音楽としかうつらず、予約演奏会の聴衆は激減し、1788年には、ヴァン・シュヴィーテン男爵ただ一人が予約に応じてくれるという凋落ぶりでした。
早く生まれすぎたものの悲劇がここにも顔を覗かせています。
私はモーツアルトを本当に、本当に心から尊敬しています。
ルービンシュタインという人は膨大な量の録音を残し、そのレパートリーも広大なものでした。ところが、ルービンシュタインとモーツァルトという組み合わせは今ひとつピンと来ません。
あれほど膨大な録音を残したピアニストだったにもかかわらず、さて、ルービンシュタインにモーツァルトの録音ってあったっけ?・・・なんて思ってしまうほどです。
調べてみると、彼が残したモーツァルトのピアノ協奏曲はわずか5曲です。
- ピアノ協奏曲 第17番 ト長調 K.453 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1962年録音
- ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1961年録音
- ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1961年録音
- ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1962年録音
- ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491 クリップス指揮 RCAビクター交響楽団 1958年録音
これは彼の録音歴を前提としてみれば際だって少ないと言わざるを得ませんし、何よりもこの一時期だけに集中しているというのが異常です。
しかし、調べてみると、これ以外にお蔵入りとなってしまった録音があることが分かりました。
DECCAの伝説的録音プロデューサーだったカルショーの自伝に記されている有名な話なので、ご存知の方も多いと思います。
お蔵入りとなった録音はルービンシュタイン73歳の時のものだと書かれているので、おそらくは1960年だろうと推測されます。
カルーショーの記述によると、ルービンシュタインは「自分が弾くピアノの音はくまなく聞き手の耳に届かなければいけない」と宣告したそうです。意味ありげな言葉なのですが、実際の演奏を聴けば吃驚仰天、何のことはない、彼は到底モーツァルトとは思えないような爆音でピアノを弾きはじめたのです。さらに怖いことに、長年のおつきあいだった指揮者のクリップスの方も、そう言うルービンシュタインのピアノの音を一切邪魔することなく控えめにオケをコントロールしたのです。
当時の録音は基本的にワンポイント録音に近いものですから、編集の過程でバランスを調整すると言うことは不可能です。
結果としてテープに録音された音は売り物にはならないとカルーショーは判断し、その判断を依頼主であるRCAにも伝えました。そして、RCAもまた長年にわたってルービンシュタインの爆音に悩まされてきたので、その申し出の意味するところをすぐに理解し、カルーショーの申し出を即座に受け入れました。
結果として、1960年に集中的に録音された17、20、23番は全て没となってしまい、その後も「何かの間違い」で表に出ると言うこともなく今も「幻の録音」のままです。
確かに、ルービンシュタインはクリップスとのコンビでは、ある意味ではクリップスの名人芸に甘えて、力の限りピアノを鳴らす傾向がありました。
例えば、1956年に集中的に録音されたベートーベンのピアノ協奏曲などでは、ルービンシュタインは好き勝手にピアノを鳴らし、それに対して指揮者のクリップスは奇蹟のバランスでフォローしていました。ルービンシュタインは自分の興が趣くままに好き勝手、自由に演奏していて、そう言うわがままなピアノに対して「これしかない」と言うほどの絶妙なバランス感覚でオケをコントロールしていたのがクリップスでした。
あの録音をはじめて聞いたときはルービンシュタインよりもクリップスの凄さを実感したものです。そして、そう言うクリップスの名人芸を「ベートーベンを演奏する指揮者としては凡庸の極み」と切って捨てた評論家のいい加減さに呆れ果てたものでした。
そんなルービンシュタインがはじめてモーツァルトのコンチェルトを録音したのが58年のニ短調コンチェルトでした。
「私にはベートーベンがソナタの1楽章全部を費やして語るよりも多くのことを、ほんの数小節でモーツアルトが表現してしまうように思えます。私はモーツアルトを本当に、本当に心から尊敬しています。」なんてな殊勝な事をルービンシュタインは語っていました。
つまりは、モーツァルトに対してはさすがのルービンシュタインも「構え」ていたのです。ですから、この58年に録音されたニ短調コンチェルトは、ルービンシュタインとは思えないほどに随分と控えめにピアノを鳴らしています。そして、相棒のクリップスの方も、いつものようにルービンシュタインのピアノの邪魔にならないようにコントロールするので、さらに控えめにオケを鳴らすという事態になっています。
聞けば分かるように、売り物にならないような酷いバランスにはならなかったのですが、ルービンシュタインの美質がほとんどスポイルされたような詰まらない演奏と録音になってしまっています。
おそらく、これではイカン!!と思ったのでしょう。
ルービンシュタインの魅力はピアニシモであってもピアノが完璧に鳴りきっているところにあります。
こんな恐る恐るの手探り状態の演奏では、いかにモーツァルトでもよろしくないのは明らかです。そして、この反省をもとに、おそらくは60年には「やってしまった」のでしょう。
ルービンシュタインはいつもルービンシュタインらしく、しかし、クリップスにしてみれば「もう付き合いきれない」となったのかもしれません。
ベートーベンやブラームスのコンチェルトならば音楽の形を崩さずにバランスをとることが可能であっても、それがモーツァルトとなると不可能です。そして、その結果が「没」という惨事をうむことになったのだろうと想像されます。
しかし、それでもルービンシュタインは諦めがつかなかったのでしょう。
レーベルにしてもルービンシュタインというビッグネームによるモーツァルトのコンチェルトはカタログに欲しかったはずです。
そこで、再度仕切り直しをしたのが、何でも言うことを聞きそうな「ウォーレンステイン」を起用しての61年から62年にかけての録音だったと想像されます。
おそらく、入念に打ち合わせを行ったものと思われます。
調べてみると録音プロデューサーは58年のハ短調コンチェルトを録音したときと同じ「Max Wilcox」なる人物です。
今度はルービンシュタインのピアノは十分に鳴りきっています。それに対するウォーレンステインのサポートもそれほど大きな破綻をきたすことなく上手くバランスをとっています。
「RCAビクター交響楽団」というのも怪しげな団体ですが、おそらくは録音の契約上の名前を出せないだけで、どこかのしっかりとしたオケであることは聞けばすぐに分かります。
こうして、60年には没となった17、20、23番に加えて21番の録音を完了して、ルービンシュタインの「モーツァルトの時」は終わりました。
この一連の録音では、いつものルービンシュタインらしくピアノは芯から鳴りきっています。結果として、ルービンシュタインの陽性の気質が表面にでて、光と影が交錯するモーツァルトではなく、終始明るい日の光に照らされているモーツァルトになっています。
当然の事ながら、そんなモーツァルトに違和感を感じる人もいるでしょうが、しかし、聞いてみればこれもまたモーツァルトであり、決して「壊れたモーツァルト」にはなっていません。
しかしながら、そう言うアプローチであるがゆえに、個人的には17番のコンチェルトが一番上手くいっているような気がします。
もちろん、そのあたりの判断はそれぞれの聞き手にゆだねますが、かなりユニークな部類に入るモーツァルトであることは間違いありません。
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