クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

シューマン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調, WoO 23

(Vn)ユーディ・メニューイン:サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1938年録音





Schumann:Violin Concerto in D minor, WoO 23 [1.In kraftigem nicht zu schnellem tempo]

Schumann:Violin Concerto in D minor, WoO 23 [2.Langsam]

Schumann:Violin Concerto in D minor, WoO 23 [3.Lebhaft doch nicht schnell]


晩年のシューマンを代表する異形の傑作

この作品はシューマンにとっては最晩年ともいえる1853年に作曲された作品です。すでに精神的に病みはじめていて常人とは言い難い状態が続いたそのあとに少しばかりの小康状態がやってきたのがこの1853年でした。
晩年のシューマンはヴァイオリンという楽器に強く惹かれていたようで、1851年から52年にかけて2曲のヴァイオリンソナタを作曲していますし、53年の春にはヨアヒムがソリストをつとめたベートーベンのヴァイオリン協奏曲に深く感動して「ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲」を書き、さらには新しいヴァイオリン協奏曲にもチャレンジをします。

シューマンが残した日記によるとその協奏曲は53年の9月21日に取り組みはじめ、10月3日にはオーケストレーションを仕上げて完成したことが記されてます。このロマン派のヴァイオリン協奏曲を代表するともいえるこの作品がそれほどの短時日で仕上げられたのには理由があります。それは、デュッセルドルフの管弦楽団で演奏してもらうことを期待していたからで、完成した楽譜は10月7に日はヨアヒムに送付されています。

ところが、それほどの思いを持って作曲に取り組み、楽譜も送付したにもかかわらずヨアヒムは予定されていた演奏会でこの作品を取り上げることはなく、送られた楽譜は握りつぶされて、いずこともなくお蔵入りすることになってしまいました。そして、シューマンは翌年の2月にライン川に身を投げて自死してしまいます。

そのために、ヨアヒムによって握りつぶされた楽譜が再発見されたのは80年以上の時が過ぎた1937年の事でした。発見された楽譜は草稿譜だったので、その後ヨアヒムが残した「写し」とピアノ・スコアなどを参考にしながら改訂を行って同年の6月に楽譜として出版されました。
そして、その事によってヨアヒムがこの協奏曲の演奏を行わなかった理由も理解できるようになってきました。

一言で言えばヴァイオリンのソロ・パートが異常に複雑で演奏困難なものであり、さらにはそのわりには全く演奏効果があがらない作品だったのです。
確かに演奏するには高い技術を必要とする作品は他にもたくさんありますが、その様な困難とは根本的に異なる困難がこの作品にはあるのです。おそらく、パガニーニの作品などはとても演奏困難なのですが、それでもその困難を乗りこえることにはソリストとしての快感が伴うような困難であり、さらにはその先には聴衆の絶大ななるブラボーが期待できるのです。
ところが、このシューマンの困難さは何処か人間の生理に反するような無理を強いられる困難であり、その困難を乗りこえても快感ではなくてどちらかと言えば苦痛を伴う類のものなのです。そして、そこまでの苦痛を乗りこえた結果がさっぱり聴衆には伝わらないとすれば、もう一度「書き直してくれよ!」と言いたくなるのも十分に理解できるのです。

そして、シューマンの作品にはこのヴァイオリン協奏曲だけに限らず交響曲など他の作品においても似たような傾向があるのです。
しかしながら、そう言う「不都合」の塊のような彼の作品を、その「不都合」を承知の上で演奏してみれば、そこにはシューマンだけが生み出すことが出来た幻想的な世界が広がるのです。それでも、「原典尊重」が錦の御旗になった時代にあっても、とりわけ交響曲などは「不都合」な部分は「訂正」して演奏する指揮者の方が多かったのです。

おそらく、この協奏曲のソリストとしての大変さは第1楽章の冒頭部分を聞くだけですぐに理解できるはずです。重音奏法に主題を奏したあとにそれを装飾風に転調していくのは本当に無理を強いられているというのが痛いほどに伝わってきます。ところが、その無理にはパガニーニに代表されるような華やかさは欠片もありません。そのあとも以下同文という感じです。

しかしながら、それこそがシューマンの世界であり、それが漸く多くの人に理解されるようになってきてから、録音も少しずつ増えてきたようです。
とは言え、ソリストにとっては難曲であることは間違いありませんが、あとの時代のものにとってはシューマンが最後の最後にこのようなヴァイオリンのための協奏曲を残してくれたことに感謝したいですし、例え初演を拒否したとしてもその創作の切っ掛けとなったのはヨアヒムなのですから、決して彼のことを悪く言うことは出来ないでしょう。

ちなみにヨアヒムは遺書の中でこの協奏曲のことにふれていて「この協奏曲はシューマンの死後100年経たないと演奏してはいけない」と書いていたという話も伝わっていますし、妻であるクララもこの曲を「決して演奏してはならない」と家族に語っていたと伝えれているそうです。
つまりは晩年のシューマンを代表する異形の傑作と言うことなのでしょう。


オリジナル版による初演


この作品をめぐる「初演競争」のエピソードはクーレンカンプの録音をアップしたときにも紹介しました。
もちろん、クーレンカンプには「初演」を争うような気持ちはあまりなかったとは思うのですが、ナチスにとってはドイツ文化の優位性を誇示するための絶好の「獲物」と見えたのです。ですから、この作品の「初演」を目指していたメニューヒンに対して様々な妨害行為を行い、結果としてはクーレンカンプによって「初演」が為されました。

しかしながら、クーレンカンプはシューマンのオリジナルのままでは演奏するのが難しいと判断して、ナチスから目をつけられていたヒンデミットに依頼をして大幅な改訂を行い、そこへ自らもさらに手を加えて「初演」を行いました。実際、シューマンのオリジナルはヴァイオリニストにとっては異常に複雑で演奏困難なものであり、さらにはそのわりにはあまり演奏効果があがらないのですから、その気持ちは分かります。

「シューマンはヨアヒムにこの曲を演奏するように何度も頼んでたみたいだけど、オリジナルで演奏されなくてよかった」

これは、友人のカール・フレッシュにあてたた手紙の中にしたためていた一節です。

そこで、「初演」が果たせなかったメニューヒンとしては、当然の事ながら、その様に「手心」を加えたスコアではなく、シューマンのオリジナル版で演奏を行おうとするのは当然のことです。

「このシューマンのコンチェルトは、ヴァイオリン音楽の歴史に欠けていた鎖の環です。それはベートーヴェンとブラームスのコンチェルトのあいだにかかる橋なのです。このコンチェルトはブラームスのほうにより近いものではありますけれども・・・われわれは、ブラームスがシューマンの影響なしにけっして後年のような作曲家になりえなかったろうという事実を知って驚くのです。」というメニューヒンの言葉が残っています。

それは、シューマンの一連の交響曲などにも言えることですが、指揮者から見ればあまりにも「不合理」に見える楽器の重ね方がもたらす不思議な音色こそがシューマンの持ち味だったりします。
ピアノ曲などでも、作品が本来持っているべき形式があふれ出す感情によって破綻しそうになっても、その破綻の中にこそシューマンの魅力があったりするのです。
こんな事を書くと誤解を招くかもしれないのですが、古典派までの常識というのがそのままでは通じないのがシューマンで。ある意味ではその様な「破綻」の中から、誰もが描ききれなかった世界をつかみ取ったのがシューマンだったとも言えるのです。

ですから、ヴァイオリニストから見ればあまりにも多くの不都合さと不自然さにあふれていても、そして、その困難を乗りこえてもそれほど演奏効果が上がらないように思えても、その不都合さの中にこそシューマンの真実が潜んでいるのです。
そして、当時のメニューヒンにはそのとてつもない困難を乗りこえるテクニックがあったことをこの録音は如実に証明しています。

そう言えば、シューマンのピアノ協奏曲もピアニストにとってはかなりの難物だといわれています。譜面づらは易しそうに見えながら、似た音型が多いので迷子になりやすいそうです。
さらにオケと掛け合う場面が多い最終楽章ではその掛け合いが微妙にずれていて、それ故に互いに相手の音を聞きあうことが求められ、さらには一度破綻をきたすと仕切り直しが出来る場面が全くないという実に恐ろしい作品らしいのです。
そして、このヴァイオリン協奏曲はそれ以上の難物なのでしょう。
実際、コンサートでこの作品を取り上げているのはほとんど見ませんし、21世紀に入ってからは少しずつ取り上げられる機会は多くなっているようですが、それでも多い数とは言えません。

それだけに、30年代にクーレンカンプとメニューヒンによって録音されたことは特筆すべき事です。
そして、すでに30年代において、この難曲をこのクオリティで演奏していたメニューヒンはやはりたいしたものです。もちろん、伴奏を務めるバルビローリとニューヨークフィルも万全です。

そして、何よりもその録音クオリティの素晴らしさには驚かされ、あらためてSP盤の実力を思い知らされます。

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