シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47
(Vn)ジネット・ヌヴー ワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1945年録音
Sibelius:Violin Concerto in D minor Op.47 [1st movement]
Sibelius:Violin Concerto in D minor Op.47 [2nd movement]
Sibelius:Violin Concerto in D minor Op.47 [3rd movement]
シベリウス唯一のコンチェルト
シベリウスはもとはヴァイオリニスト志望でした。しかし、人前に出ると極度に緊張するという演奏家としては致命的な「欠点」を自覚して、作曲家に転向しました。これは、後世の人々にとっては有り難いことでした。ヴァイオリニストとしてのシベリウスならば代替品はいくらでもいますが、作曲家シベリスの代わりはどこにもいませんからね。
そんなわけで、シベリウスにとってヴァイオリン協奏曲というのは「特別な思い入れ」があったようです。
作曲されたのは2番の交響曲を完成させて、作曲家としての評価を確固たるものとした時期でした。1903年に彼はこの作品に取り組みはじめ、そして年内に一応の完成をみます。その翌年には初演も行われたのですが、評価はあまり芳しいものではなかったようです。
そして、その翌年の05年に彼はベルリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲を「聞いてしまいます。」
シベリウスの基本は交響曲であり、民族的な素材に基づいた交響詩です。ですから、彼はこのコンチェルトを書くときも、独奏楽器の名人芸をひけらかすだけのショーピースとしてではなく、交響的な響きをともなった構成のガッチリとした作品を書いたつもりでした。ところが、ベルリンで初めて聞いたブラームスのコンチェルトは、そう言う彼の思いをはるかに超えた、まさに驚くほどに交響的的なコンチェルトだったが故に、彼に大きな衝撃を与えました。
ヘルシンキに舞い戻ったシベリウスは猛然と改訂作業に取りかかり、1903年に完成させた初稿版は封印してしまいます。
とにかく、彼にとって冗長と思える部分はバッサリとカットされます。オーケストレーションもより分厚い響きが出るようにかなりの部分は変更されたようです。結果として、できあがった改訂版の方は初稿と比べるとかなり短く凝縮されたものに変身しましたが、反面、初稿には感じられた素朴な暖かみや自由なイメージの飛翔という部分は後退しました。
ただし、作曲家本人が全力を挙げて改訂作業に取り組み、さらに初稿の方を封印したのですから、我々ごときが「どちらの方がいい?」などという気楽なことは問うべきでないことは明らかでしょう。世界中から第8交響曲を期待され、そして、何度かそれらは「完成」しながらも、満足できないが故に結局は全て焼却してしまった男です。
現在は「遺族の了承」という大義名分のもとに初稿版を聴くことができるのですが、やはり、シベリウスのヴァイオリンコンチェルトは1905年の改訂版で聴くのが筋というものなのでしょう。
早熟の天才
ジネット・ヌヴーというヴァイオリニストを語るとき私は二つのことを忘れてはいけないと考えています。
まず一つめは、その驚くべき早熟さについてです。
彼女はわずか7歳で、パリのサール・ガボヴォーにてブルッフのヴァイオリン協奏曲で公式のデビューを飾っています。そして、10歳にして大家ジョルジュ・エネスコに学び、それでも物足りなくて11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリのクラスに入る事を許されます。さらに驚くべきはそのクラスも入学後わずか8ヶ月で首席に輝いて卒業してしまったことです。
しかし、真に驚くべき事は、15歳の時にカール・フレッシュの勧めで参加した第1回ヴィエニャフスキ国際音楽コンクールで優勝したことです。
「エー、15歳でコンクールに優勝?そりゃ凄いんでしょうが、でも驚くほどのことではないでしょう」
全くその通り、それだけでは何も驚くべき事ではありません。
ただし、そのコンクールでヌヴーに敗れて2位になったのがすでに26歳になっていたダヴィッド・オイストラフだと知ればいかがでしょう?
ヌヴーに敗れたオイストラフは妻に宛てた手紙の中で「2位になれたことで、ぼくは満足している」と述べ、ヌヴーのことを「悪魔のようだった」と絶賛しています。
15歳の小娘が26歳のオイストラフを凌駕したのです。そして、その事実をオイストラフ自身も素直に認めざるを得ないほどの凄さだったのです。
これを早熟と言わずしてなんと言えばいいのでしょうか。
ヌヴーと言えば、悲劇の飛行機事故によって30歳で早世したことが語られます。そのために、残された録音も少なく、長生きしていればどんなに素晴らしい演奏を聴かせてくれたことだろうと言う「イフ」がよく語られます。
ヌヴーのスタジオ録音は戦前の38年から39年にかけての小品集と45年から48年にかけてのロンドンでのレコーディングだけです。10代の後半と20代後半の限られた時期にしかスタジオ録音を残していません。
しかし、ヌヴーに関して言えば、たとえ戦前の10代の録音であっても、それをほんの小娘の未熟な録音などとは努々疑ってはいけません。15歳でオイストラフに「悪魔のようだった」と言わしめたヴァイオリニストの録音が未熟であるはずはないのです。ヌヴーの録音に若さ故の青さを指摘する記述も散見するのですが、どこに耳がつているかと思ってしまいます。
実は、これより先に、ヌヴーに負けないほどの早熟の天才がいました。しかし、その天才は長く活躍した故に、若い時代の早熟ぶりに関してはみんな忘れてしまいました。
そう、ハイフェッツです。
ですから、この完璧な天才をけなす言葉は一つしかなかったのです。
「そう、確かに彼は凄いよ。でも、あいつは13の時からちっとも進歩していない。」
早熟の天才が真の天才になるというのはそう言うことなのです。
そして、もしもヌヴーが長生きできていたならば、果たしてハイフェッツのように語られたかどうかは分かりません。もしかしたら、ただの早熟の天才で終わった可能性も否定できません。
ただ、疑いもない事実は、彼女もまたハイフェッツのように若くして一つの頂点に達していたと言うことです。
ですから、彼女の教育に携わったジュール・ブーシュリやカール・フレッシュは、その言葉を信ずるならば、ごくわずかの純粋にテクニック的な事柄についてしかアドバイスをしなかったそうです。
しかし、10歳の時に彼女を教えたジョルジュ・エネスコは「こんどはこの曲を少し違ったふうに奏いてごらん。」というテクニック面以外のアドバイスをしました。それに対して10歳のヌヴーは「わたし、自分が感じたようにしか奏けません」と言い返したという話が伝説として伝えられています。
まあ、10歳だったから怖いものなしだったとも言えるのでしょうが、この「わたし、自分が感じたようにしか奏けません」と言い返した言葉の中に私が注目したい2つめがあります。
それは、ヌヴーというヴァイオリニストは最初から最後まで、己の信じる音楽だけを表現し続けたと言うことです。
ただし、それを上のような言葉にしてしまえば陳腐です。どんな盆暗でも「俺の音楽を聴いてくれ!」なんて言いますからね。
しかし、盆暗は表向きはそんなことを言っていても、その実は周囲から評価されようとして右往左往しているが常なのです。本当にその言葉通りに、まわりの評価や雑音などには一切耳を貸さず、掛け値なしに自分の信じた音楽を貫き通した演奏家などは滅多にいるものではありません。
しかし、10歳にしてエネスコの助言に対して「わたし、自分が感じたようにしか奏けません」と言い返したヌヴーは、その言葉を生涯守り続けました。ヌヴーがヴァイオリンを使って表現しようとしたものは、徹頭徹尾、自分自身だったのです。
この世の中で一番強いのは自分を信じている人です。
そして、その信じた自分を表現するとき、人は最大の力を発揮し、そして信じがたいほどの事を現実に成し遂げてしまいます。
ヌヴーの音楽は、その信じがたいことを成し遂げた一つの偉大なる例です。
ヌヴーの演奏を聴けば、表面的には明らかにハイフェッツの存在を意識せずにはおれなくなった時代の演奏家であることは事実です。高いテクニックで作曲家がスコアに託した音符を音化していく事はすでにこの時代の演奏家の義務となっていたはずです。そして、彼女は10代の前半においてその義務を完全に果たしていたのです。
しかし、彼女のヴァイオリンによって音化された音楽は間違ってもハイフェッツの亜流などにはなっていません。どれを聞いてもヌヴーが信じた音楽となっています。
それ故に、彼女の演奏はどれを聴いても強い緊張感を維持しながらも、その内側からメラメラと炎が吹き上がるような熱さを感じます。ハイフェッツになくてヌヴーにあるのはこの燃え上がる炎です。
彼女が残したスタジオ録音は以下の通りです。
少ないと言えば本当に少ない数です。飛行機事故にあったアメリカでの演奏旅行の後にはベートーヴェンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、さらにはエドウィン・フィッシャーとの協演によるブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲の録音が予定されていたそうです。そう思えば、無念の思いはこみ上げますが、それでも、これだけ残ったことを神に感謝しないといけないのでしょう。
<1938年録音>
クライスラー:バッハの様式によるグラーヴェ ハ短調
スーク:4つの小品 op.17?第3曲「ウン・ポコ・トリステ」
スーク:4つの小品 op.17?第2曲「アパッショナータ」
ショパン/ロディオノフ編:夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)
グルック:『オルフェオとエウリディーチェ』?メロディー
パラディス/ドゥシキン編:シチリア舞曲
<1939年録音>
R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調 op.18
タルティーニ/クライスラー編:コレッリの主題による変奏曲
<1945年録音>
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 op.47
<1946年録音>
ショパン/ロディオノフ編:夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)
ディニーク/ハイフェッツ編:ホラ・スタッカート
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.77
スカルラテスク:バガテル
ファリャ/クライスラー編:歌劇『はかなき人生』?スペイン舞曲
ラヴェル:ツィガーヌ
ラヴェル:ハバネラ形式の小品
スーク:4つの小品op.17
ショーソン:詩曲op.25
<1948年録音>
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ ト短調
よせられたコメント 2014-07-22:Yutaka Inada これはホントにすばらしいです。11月の霧の洞爺湖で私が聴きたくなったのがこの演奏でした。
【最近の更新(10件)】
[2026-02-06]
ラヴェル:ピアノ三重奏曲 イ短調(Ravel:Piano Trio in A minor)
(Vn)ジャン・パスキエ:(P)リュセット・デカーヴ (Cello)エティエンヌ・パスキエ 1954年発行(Pierre Pasquier:(Cello)Etienne Pasquier (P)Lucette Descaves Published in 1954)
[2026-02-02]
ベートーベン:ピアノソナタ第28番 イ長調 Op.101(Beethoven:Piano Sonata No.28 in A major, Op.101)
(P)ハンス・リヒター=ハーザー 1956年3月録音(Hans Richter-Haaser:Recorded on March, 1956)
[2026-01-31]
ヴィオッティ:ヴァイオリン協奏曲第22番イ短調 G.97(Viotti:Violin Concerto No.22 in A minor)
(Vn)ジョコンダ・デ・ヴィート:ヴィットリオ・グイ指揮 グラインドボーン祝祭管弦楽団 1953年9月23日~24日&10月10日録音(Gioconda de Vito:(Con)Vittorio Gui Glyndebourne Festival Orchestra Recorded on September 23-24 & Ovrober 10, 1953)
[2026-01-27]
ベートーヴェン:ドン・ジョヴァンニの「お手をどうぞ」による変奏曲 ハ長調, WoO 28(Beethoven:8 Variations on La ci darem la mano from Mozart's Don Giovanni in C Major, WoO 28)
ウィーン・フィルハーモニー木管グループ:1949年録音(Vienna Philharmonic Wind Group:Recorded on 1949)
[2026-01-25]
J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ニ長調 BWV.532(J.S.Bach:Prelude and Fugue in D major, BWV 532)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
[2026-01-21]
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番イ短調, Op.132(Beethoven:String Quartet No.15 in A minor Op.132)
ハリウッド弦楽四重奏団:1957年5月25日&6月6日&12日録音(Recorded on 25 May 25& June 8, 12, 1957)
[2026-01-19]
フォーレ:夜想曲第11番 嬰ヘ短調 作品104-1(Faure:Nocturne No.11 in F-sharp minor, Op. 104 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2026-01-16]
ベートーヴェン:管楽三重奏曲 ハ長調, Op.87(Beethoven:Trio in C major, Op.87)
ウィーン・フィルハーモニー木管グループ:1949年録音(Vienna Philharmonic Wind Group:Recorded on 1949)
[2026-01-14]
マスネ:組曲 第7番 「アルザスの風景」(Massenet:Scenes Alsaciennes Orchestral Suite No.7)
ディミトリ・ミトロプーロス指揮:ミネアポリス交響楽団 1946年3月11日録音(Dimitris Mitropoulos:Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on March 11, 1946)
[2026-01-12]
シューベルト:八重奏曲, Op.166 D.803(Schubert:Octet in F major, D.803)
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 (Clarinet)レオポルト・ウラッハ (Basson)カール・エールベルガー (Horn)ゴットフリート・フォン・フライベルク (Double bass)ヨーゼフ・ヘルマン 1951年録音(Vienna Konzerthaus Quartet:(Clarinet)Leopold Wlach (Basson)Karl Oehlberger (Horn)ottfried von Freiberg (Double bass)Joseph Hermann Recorded on 1951)