チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調, Op.48(Tchaikovsky:Serenade for Strings in C Major Op.48)
フェレンツ・フリッチャイ指揮 RIAS交響楽団 1952年10月14日~15日録音(Ferenc Fricsay:RIAS Symphonie-Orchester Berlin Recorded on October 14-15, 1952)
Tchaikovsky:Serenade for Strings in C Major Op.48 [1.Pezzo in forma di sonatina. Andante non troppo - Allegro moderato ]
Tchaikovsky:Serenade for Strings in C Major Op.48 [2.Valse. Moderato. Tempo di Valse]
Tchaikovsky:Serenade for Strings in C Major Op.48 [3.Elegia. Larghetto elegiaco]
Tchaikovsky:Serenade for Strings in C Major Op.48 [4.Finale (Tema russo). Andante - Allegro con spirito]
スランプ期の作品・・・?
まずは、弦楽セレナード、そして4つの組曲、さらにはマンフレッド交響曲の6曲です。マンフレッド交響曲は、その標題性からしても名前は交響曲でも本質的には多楽章構成の管弦楽組曲と見た方が自然でしょう。
まず第4交響曲は1877年に完成されています。
組曲第1番:1879年
弦楽セレナード:1880年
組曲第2番:1883年
組曲第3番:1884年
マンフレッド交響曲:1885年
組曲第4番:1887年
そして、1888年に第5交響曲が生み出されます。
この10年の間に単楽章の「イタリア奇想曲」や幻想的序曲「ロミオとジュリエット」なども創作されていますから、まさに「非交響曲」の時代だったといえます。
何故そんなことになったのかはいろいろと言われています。まずは、不幸な結婚による精神的なダメージ説。さらには、第4番の交響曲や歌劇「エウゲニ・オネーギン」(1878年)、さらにはヴァイオリン協奏曲(1878年)などの中期の傑作を生み出してしまって空っぽになったというスランプ説などです。
おそらくは、己のもてるものをすべて出し切ってしまって、次のステップにうつるためにはそれだけの充電期間が必要だったのでしょう。打ち出の小槌ではないのですから、振れば次々に右肩上がりで傑作が生み出されるわけではないのです。
ところが、その充電期間をのんびりと過ごすことができないのがチャイコフスキーという人なのです。
オペラと交響曲はチャイコフスキーの二本柱ですが、オペラの方は台本があるのでまだ仕事はやりやすかったようで、このスランプ期においても「オルレアンの少女」や「マゼッパ」など4つの作品を完成させています。
しかし、交響曲となると台本のようなよりどころがないために簡単には取り組めなかったようです。しかし、頭は使わなければ錆びつきますから、次のステップにそなえてのトレーニングとして標題音楽としての管弦楽には取り組んでいました。それでも、このトレーニングは結構厳しかったようで、第2組曲に取り組んでいるときに弟のモデストへこんな手紙を送っています。
「霊感が湧いてこない。毎日のように何か書いてみてはいるのだが、その後から失望しているといった有様。創作の泉が涸れたのではないかと、その心配の方が深刻だ。」
1880年に弦楽セレナードを完成させたときは、パトロンであるメック夫人に「内面的衝動によって作曲され、真の芸術的価値を失わないものと感じている」と自負できたことを思えば、このスランプは深刻なものだったようです。
確かに、この4曲からなる組曲はそれほど面白いものではありません。例えば、第3番組曲などは当初は交響曲に仕立て上げようと試みたもののあえなく挫折し、結果として交響曲でもなければ組曲もと決めかねるような不思議な作品になってしまっています。
しかし、と言うべきか、それ故に、と言うべきか、チャイコフスキーという作曲家の全体像を知る上では興味深い作品群であることは事実です。
<弦楽セレナード ハ長調 Op.48>
チャイコフスキーはいわゆるロシア民族楽派から「西洋かぶれ」という批判を受け続けるのですが、その様な西洋的側面が最も色濃く出ているのがこの作品です。チャイコフスキーの数ある作品の中でこのセレナードほど古典的均衡による形式的な美しさにあふれたものはありません。ですから、バルビローリに代表されるような、弦楽器をトロトロに歌わせるのは嫌いではないのですが、ちょっと違うかな?という気もします。
チャイコフスキー自身もこの作品のことをモーツァルトへの尊敬の念から生み出されたものであり、手本としたモーツァルトに近づけていれば幸いであると述べています。ですから、この作品を貫いているのはモーツァルトの作品に共通するある種の単純さと分かりやすさです。決して、情緒にもたれた重たい演奏になってはいけません。
第1楽章 「ソナチネ形式の小品」
第2楽章 「ワルツ」
第3楽章 「エレジー」
第4楽章 「フィナーレ」
ここまで尖るとは・・・。
カルメンの前奏曲とバレエ音楽集の強烈な演奏には驚かされたのですが、チャイコフスキーの弦楽セレナードはもしかしたらそれ以上に強烈な印象を与えられるかもしれません。とりわけ、第1楽章のキレキレの表現には度肝を抜かれます。そこにはロシアの憂愁などと言うものは欠片も存在しません。
おかしな喩えかもしれませんが、カラヤン・レガートが繋げられるところはみんな繋いでしまうもんね、と言うのに対して、フリッチャイの演奏は切れるところはみんな切っちゃうんだから、と言う感じでしょうか。
しかし、続く第2楽章の「Valse. Moderato」になると、それはワルツなりの歌になるのですが、それでもこの上もなく淡麗辛口なワルツです。
しかし、第1楽章があまりにも強烈なために、それがどれほどの淡麗辛口であっても妙な不整合さを感じさせます。
第1楽章であそこまでの思い切った表現をしたのなら、例えワルツであっても切れるところはみんな切っちゃうもんねというスタイルで貫けば、ある人はこの演奏を怒り狂ってくちゃくちゃに丸めてゴミ箱に投げつけることでしょうし、また別の人はその圧倒的な情熱とパワーに対して拍手大喝采をおくることでしょう。
そうなんです。
誰からも、満遍なくそれなりの賛辞をおくられる演奏なんてものは、結局何処までいっても微温的な世界から抜け出せないのです。そこでは、どうしてもゴミ箱にぶち込んでしまいたくなるような聞き手を生み出してしまうような表現がほしくなるのです。
そして、こういう演奏を聞いていると、フリッチャイは病を得て、その事を一つの契機として音楽性を深めたと一般的には言われるのですが、そう言う通論に対する疑問が沸々とわいてくるのです。
もしも、フリッチャイが白血病などと言う病から逃れて、この若き時代に指向した方向性で音楽活動を続けていたならば、どれほどの驚きを持ってむかえるような音楽を残したことかという思いがわいてくるのです。
もちろん、それは賛否両論を巻き起こすような音楽でしょうが、出来ることなら病などを得ることなく、若き日の志を真っ直ぐに突き進んでいってほしかったと思わいもまた沸き起こってくる録音でした。
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