モーツァルト:交響曲第33番 変ロ長調 K.319
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1965年8月録音
Mozart:Symphony No. 33 in B flat major, K.319 [1. Allegro assai]
Mozart:Symphony No. 33 in B flat major, K.319 [2. Andante moderato]
Mozart:Symphony No. 33 in B flat major, K.319 [3. Menuetto
Mozart:Symphony No. 33 in B flat major, K.319 [4. Finale (Allegro assai)]
パリ旅行からザルツブルグとの訣別
K.183とK.201の2つの交響曲がもたらした「飛躍」を成し遂げたモーツァルトは、交響曲を「連作」することは不可能になります。
「モーツァルトの胸中には、シンフォニー的なものの新しい概念が発展したからである。この概念は、もはや「連作」作曲を許さず、単独作品の作曲だけを可能にするのである」(アインシュタイン)
モーツァルトは73年から74年にかけての多産の時期を過ぎると交響曲に関してはぴたりと筆が止まります。それは基本的には領主であったコロレードがモーツァルトの演奏旅行を「乞食のように歩き回っている」として制限をかけたことが一番の理由ですが、内面的には上述したような事情もあったものと思われます。
そんなモーツァルトが再び交響曲を書き出すのは、日々強まるコロレードからの圧力を逃れるための「就職先探し」の旅が契機となります。
モーツァルトとコロレードの不仲は1777年に臨界点に達し、ついにクビになってしまいます。そして、モーツァルトはこのクビを幸いとして就職先探しのための旅に出かけます。
しかし、現実は厳しく、かつては「神童モーツァルト」としてもてはやした各地の宮廷も、ザルツブルグの大司教に遠慮したこともあって体よく就職を断られていきます。期待をしたミュンヘンもマンハイムも断られ、最後の望みであったパリにおいても神童であったモーツァルトには興味は持ってくれても、大人の音楽家となったモーツァルトには誰も見向きもしてくれませんでした。そして、その旅の途中で母を亡くすという最悪の事態を迎え、ついにはコロレードに詫びを入れて復職するという屈辱を味わうことになります。
しかし、この困難の中において、モーツァルトは己を売り出すためにいくつかの交響曲を書きます。
<パリ・ザルツブルグ(1778年~1780年)>
- 交響曲第31番 ニ長調 "Paris" K.297
- 交響曲第32番 ト長調 K.318
- 交響曲第33番 変ロ長調 K.319
- 交響曲第34番 ハ長調 K.338
通称「パリシンフォニー」と呼ばれるK.297のシンフォニーは典型的な2管編成の作品で、モーツァルトの交響曲の中では最も規模の大きな作品となっています。それは、当時のパリにおけるオーケストラの編成を前提としたものであり、冒頭の壮大なユニゾンもオケの力量をまず初めに誇示するために当時のパリでは常套手段のようにもいられていた手法です。
また、この作品を依頼した支配人から転調が多すぎて長すぎると「ダメ出し」がだされると、それにしたがって第2楽章を書き直したりもしています。
何とかパリの聴衆に気に入られて新しい就職先を得ようとするモーツァルトの涙ぐましい努力がかいまみられる作品です。
しかし、先に述べたようにその努力は報いられることはなく、下げたくない頭を下げてザルツブルグに帰って教会オルガニストをつとめた79年から80年にかけての2年間は、モーツァルトの生涯においても精神的に最も苦しかった時代だと言えます。
その証拠に、モーツァルトの生涯においてもこの2年間は最も実りが少ない2年間となっています。
そのため、この2年間に書かれた32番から34番までの3曲は再び「序曲風」の衣装をまとうことになります。おそらくは、演奏会などを開けるような状態になかったことを考えれば、これらの作品はおそらくどこかの劇団からの依頼によって書かれたものと想像されています。
モーツァルトには「幸福」こそが最も似合います
カラヤンのモーツァルトは至って評判が悪いのですが、何故かしらこの65年の8月にまとめて録音された一連のモーツァルトは悪くないのです。いや、悪くないと言うよりは、非常に素晴らしいのです。調べてみると、以下の作品が録音されています。
- Symphony No. 29 in A major, K.201
- Symphony No. 33 in B flat major, K.319
- Serenade In G Major, K.525 Eine kleine Nachtmusik
- Divertimento No.15 in B Flat Major, K.287
- Divertimento in D, K.334
さらに振り返ってみると、この前年の8月にはバッハのブランデンブルク協奏曲を一気に録音しています。(正確に言うと、第6番だけは翌年の2月22日に管弦楽組曲の2番、3番と一緒に録音しています。)
カラヤンがこういう作品をこういう形でまとめて録音するというのは珍しいことです。そこで、その理由を調べてみて分かったのは、これら一連の録音は全て夏の避暑地における録音だと言うことです、
カラヤンはブランデンブルグ協奏曲を録音した1964年から、夏は避暑地のサンモリッツで過ごすようになりました。そして、そのサンモリッツに気の合うベルリンフィルのメンバーを呼んで気楽な感じで演奏会やセッション録音を行ったのです。
64年はブランデンブルグ協奏曲、65年はモーツァルト作品をまとめて録音し、67年から68年にかけてはヘンデルの合奏協奏曲とモーツァルトのディヴェルティメントを録音しています。そして、そう言う録音活動以外にも気楽な演奏会も行っていたようで、そう言う活動場所はサンモリッツ誌が全て全面的にバックアップをしていたようです。それらは、気の張りつめた音楽活動ではなく、まさに夏の避暑の合間における楽しみとしての音楽活動という面が強かったようです。
そして、この優雅な夏の日々は72年まで続くことになります。
この何とも言えず力の抜けた楽しげなモーツァルトは、カラヤンとベルリンフィルが本気で録音したそれ以外のモーツァルトよりもはるかにモーツァルトらしいのです。
ここにはカラヤンとベルリンフィルが紡ぎ出す過剰なまでの響きがないのです。そして、その薄めの響きがバッハにおいてもモーツァルトにおいても、明らかにプラスに働いているような気がするのです。
おそらくは、サンモリッツに集ったのはベルリンフィルの主なメンバーではあったでしょうがフルメンバーではなかったはずです。
クレジットが「ベルリンフィル管弦楽団」とはなっていても、その編成はかなり小ぶりであったと思われます。
ところが、その小編成の弦楽合奏が紡ぎ出す響きの何という美しさ!!
そして、独奏ヴァイオリンのうっとりするような響きと伸びやかなホルンの何という美しさ!!
これを聞いてしまうと、何故にカラヤンは本気モードの時にあそこまで過剰な響きでモーツァルトを描き出そうとしたのかと疑問に思わざるを得ません。その気になりさえすれば、このサンモリッツの時のように透明感あふれるモーツァルトの世界を描き出すことができたのに!!
しかし、できるけれどもやらなかった、と言う事実を私たちは直視すべきなのでしょう。
私は、この小編成のオケが紡ぎ出す世界こそがモーツァルトらしい世界だと思うのですが、カラヤンはそうは思わなかったと言うことです。
そして、あのカラヤンが思わなかったものを、我々ごときがあれこれ言って何になると言うのでしょう。
私がいかに過剰と思っても、そこにカラヤンが求めたモーツァルトの姿が示されているのならば、私たちはそれを敬して受け入れるしかないのです。
ただ、この8月の録音に刻まれた音楽は、疑いもなくカラヤンとベルリンフィルの最も幸福な時代の記録であることは事実です。
そして、モーツァルトには「幸福」こそが最も似合うということだけは間違いないようです。
<追記>
人によっては、29番のシンフォニーと較べれば作品のクオリティが落ちるので聞きごたえは今ひとつとの声も聞きます。しかし、こういう気楽なスタイルの演奏ではそう言う小難しいことを考えるのはよしましょう。
さらに言えば、こういうスタイルならば、交響曲よりはセレナードやディヴェルティメントなんかの方がもっとピッタリな感じがします。
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