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Home|パレー(Paul Paray)|メンデルスゾーン:交響曲第5番 ニ長調 作品107 「 宗教改革」

メンデルスゾーン:交響曲第5番 ニ長調 作品107 「 宗教改革」

ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団 1958年3月21日録音

Mendelssohn:Symphony No.5 in D minor,Op.107 "Reformations-Sinfonie" [1.Andante - Allegro con fuoco]

Mendelssohn:Symphony No.5 in D minor,Op.107 "Reformations-Sinfonie" [2.Allegro vivace]

Mendelssohn:Symphony No.5 in D minor,Op.107 "Reformations-Sinfonie" [3.Andante]

Mendelssohn:Symphony No.5 in D minor,Op.107 "Reformations-Sinfonie" [4.Andante con moto]


メンデルスゾーンの苦悩

メンデルスゾーンといえば金持ちのボンボンで何不自由なく創作活動に取り組めた音楽家というイメージがあります。そのために、彼の作品は美しいメロディラインは持っていても精神的な深みにかける二流の作品というのが一般的な通り相場でした。
しかし、本当に彼は何の不自由もなく創作活動に取り組んだのでしょうか。そして、彼は世間一般で言われるような深みにかける二流の作曲家のなのでしょうか。
今回は、少し長くなるかもしれませんが、そのような俗論(あえて、ユング君は俗論と言い切ります)に対して、メンデルスゾーンの擁護を買って出たいと思います。

言うまでもないことですが、メンデルスゾーンはユダヤ人です。そして、ユダヤ人がヨーロッパの社会で生きていくというのは決して容易なことではありません。その事は、マーラーの「三重の意味で、私には故郷がない。オーストリアではボヘミア人として、ドイツではオーストリア人として、そしてこの世においてはユダヤ人として…」という言葉を待つまでもなく、ユダヤ人としてヨーロッパ社会で生きていくことは異邦人として生き続けることを意味していました。その真実は、ドイツ有数の大銀行家の息子として生まれたメンデルスゾーンにとっても本質的な部分では何の違いもありませんでした。。

メンデルスゾーン一族はメンデルスゾーンの祖父の時代に飛躍の第一歩を踏み出しました。メンデルゾーンの祖父に当たるモーゼスは貧しいユダヤ人居住区に生まれながらも、苦学の末に啓蒙時代を代表する偉大な哲学者として名を残した人物です。彼はユダヤとドイツ人社会の融合を唱えながらも、決してユダヤの信仰を捨てず、ユダヤ教徒もキリスト教徒と対等の権利が保障されることを訴えました。
メンデルスゾーンは終生この祖父を心の底から尊敬していました。これはメンデルスゾーンを理解していく上でとても大切なことだと思われます。
このモーゼスの5番目の子どもとして生まれたのがメンデルスゾーンの父となるアブラハムです。彼はパリでの銀行員としての経験をもとに、兄とともにメンデルスゾーン銀行を設立します。この銀行はやがてドイツ有数の大銀行へと発展していき、アブラハムはベルリン市参事会議員をも務めて、富と名声と地位を獲得していきます。
メンデルスゾーンはこのアブラハムの2番目の子として生まれます。そして、幼い頃からすぐれた音楽的才能を示し始めたメンデルスゾーンのために惜しげもなくお金をつぎ込んで英才教育に努めました。そんなアブラハムが子どもたちのために行った最大の決断はキリスト教への改宗でした。
これは明らかに父であるモーゼスへの違背です。しかし、ナポレオン戦争後のヨーロッパでは反動的な風潮がよみがえり、ユダヤ人に対する差別は拡大していました。「洗礼証書はヨーロッパ文化への入場券である(ハイネ)」と言わざるを得ない時代の空気の中で、アブラハムは1816年に4人の子どもに洗礼を受けさせる決断をしたのです。そして、その6年後には妻とともにアブラハム自身もキリスト教に改宗をします。
しかし、この父の決断はメンデルゾーンが成長して行くにつれて両者の対立の火種となっていきます。彼は成長して行くにつれて偉大なる祖父の考えに共感を覚えるようになり、ユダヤ人としてのアイデンティティを確立していくように見ました。その事は、ユダヤ的なものを表面から覆い隠そうとする父と、それをあえて表明しようとする息子との間で、時には感情的な激しいやりとりにまで発展することもありました。
その様なメンデルスゾーンに大きな転機を与えたのがこの交響曲第5番「宗教改革」の作曲と、それにまつわる一連の出来事でした。

メンデルスゾーンがこの作品の創作を思い立ったのは注文が入ったからではありません。この点に関しては確かに彼は恵まれていました。創作活動や演奏活動から得られる収入に関わる問題につては考慮する必要がなかったのですから。
彼がこの作品を創作するきっかけになったのは、1830年に行われる「宗教改革300周年」を記念する行事に相応しい作品を作ろうと思い立ったからです。そのために、彼はドレスデン・アーメンで始まり、最後を「神はわがやぐら」のコラールで締めくくる交響曲を作ったのです。
宗教改革300周年を祝う行事で、このような内容を持った作品をユダヤ人である自分が創作することは、偉大なる祖父モーゼスの思想を現実のものにする素晴らしい考えだと思えたのです。
ところが、宗教改革300周年を祝う行事では何故かこの作品は採用されませんでした。長い間その理由として、この記念行事が結局は行われなかったからだと言われてきたのですが、最近の研究ではベルリン市内で実際に行われたことが明らかとなっています。つまりは、演奏されたことも忘れ去られてしまうような駄作がその記念行事に相応しいものとして採用されたと言うことなのです。
その事実は、メンデルゾーンの心を深く傷つけたものと思われます。
しかし、それでもメンデルスゾーンはこの作品をもう一度持ち出します。それは、この屈辱の2年後のことで、彼の師でもあったツェルターが世を去ったためにベルリン・ジンクアカデミーの指揮者の席が空席になり、その後継者を選出する必要が生じたためです。メンデルスゾーンはツェルターの後継者としてジンク・アカデミーの次期指揮者に就任することに意欲を見せ、その次期指揮者を決めるためのオーディションとも言うべき演奏会でこの自信作を取り上げているのです。
ところが、作品も演奏も他の候補者とは比較にならないほどにすぐれていたにもかかわらず、ここでも次期指揮者を決めるための選挙では圧倒的大差で敗れてしまいます。
これはメンデルスゾーンを深く傷つけ、その様な深い挫折を経験させたこの作品を徹底的に忌み嫌い、かたく封印してしまうことになります。また、姉のファニーと妹のレベッカも「家族の名誉が傷つけられた」としてジング・アカデミーから退会したという事実から、これはメンデルスゾーン一族にとっても衝撃的な事実だったと思えます。
言うまでもないことですが、このような理不尽な決定が記念行事の主催者やジンク・アカデミー会員の音楽的無知からもたらされたものではないことは確かです。理由はただ一つ、メンデルスゾーンがユダヤ人であったからです。そして、自分の中では容易に理解できる祖父モーゼスの理想が、現実のヨーロッパ社会においては容易には受け入れられないものであることをいやと言うほど思い知らされたのです。

「泣きながらパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」と語ったのはゲーテです。しかし、その涙の原因が己の努力とがんばりで克服されるものならばまだ救いはあります。しかし、その原因が生まれながらに刻印されているものであり、その刻印が終生己の額から消えないとすれば、その涙には救いはありません。
そして、この交響曲第5番「宗教改革」を巡る一連の出来事は、彼らの額の刻印が決して消えることがないことをメンデルスゾーンの一族に思い知らせたのです。

しかし、注目すべきは、メンデルスゾーンは深く傷つきながらも、決して屈しなかったことです。
彼は祖父モーゼスが唱えた考えを決して捨てることはありませんでした。ユダヤ教もキリスト教もめざすものは同じであり、両者は共存できるという考えは決して捨てませんでした。
そして、その事を今度はオラトリオ三部作という形で、もう一度音楽的に昇華させようとします。
オラトリオ三部作とは言うまでもなく、「聖パウロ(1836)」「エリア(1846)」、そして彼の死によって未完に終わった「キリスト」です。ここで、メンデルスゾーンは己の理想をもう一度形あるものにしています。演奏される機会の少ない作品ですが、メンデルスゾーンの残した最も優れた業績だといえるものです。そして、それらの作品は「宗教改革」のような拒絶にあうこともなく、広くヨーロッパ全体に受け入れられていきました。それにつれて、音楽家としてのメンデルスゾーンも正当に評価されるようになり、彼にとっては因縁の作品とも言うべき「宗教改革」も死後16年にして再演され出版されるようになっていきました。

ところが、その様なメンデルスゾーンに再び額の刻印が永遠に消えないことを思い出させたのがヒトラーでした。
彼はメンデルスゾーン銀行を解散させるだけでなく、ユダヤ人の作曲家による作品を「退廃音楽」として徹底的に弾圧しました。とりわけ、「3M」と呼ばれた「マイアベーヤ・メンデルスゾーン・マーラー」は目の敵にされました。彼らの作品は演奏が禁止されるだけでなく、作品そのものへもいわれのない批難中傷が浴びせかけられました。実は、「金持ちの凡に生まれた彼の作品には音楽的な深みがない」というのはこのナチスの時代に作り上げられた評価でした。そして、驚くなかれその評価は大戦終了後も生き続け、メンデルスゾーンの作品は音楽史上において何の貢献もしていないから取り上げる価値がないと公言してはばからない音楽大学もあるのです。(注:伝聞ですのでもしかしたら誤りかもしれません。しかし、日本の音大におけるメンデルスゾーンの評価が驚くほどに低いことは紛れもない事実です)
しかし、幸いなことに1997年の没後150年を契機としてメンデルスゾーンの再評価が進められ始めました。最近では、CDのリリースも活発で彼の全業績をふりかえることも可能な時代になってきました。
もちろん、ヨーロッパ社会におけるユダヤの問題は東洋の島国に暮らす私たちには想像もつかないほどに深く、重い課題であるだけに今後どのような展開があるのかは分かりませんが、それでも額の刻印なんかどうでもいいと思えるような時代になってきているように見えます。

最後に、チャイコフスキーの言葉を紹介しておきましょう。
「メンデルスゾーンは、常に純粋な様式の模範であり続け、際立った音楽的個性の持ち主として一般に認められるであろう。
その個性は、ベートーベンのような天才の輝きの前では確かに見劣りするが、ドイツの職人的音楽家の巨大な群れからは、はるかに抜きん出て際立って見える。」


アメリカというのは凄い国だった

リビング・ステレオのカタログを眺めてみると、メンデルスゾーンの交響曲に関しては以下の3名の指揮による録音が並んでいます。


  1. 交響曲第3番 イ短調 作品56 「スコットランド」:アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1956年7月3~5日録音

  2. 交響曲第4番 イ長調 作品90 「イタリア」:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮 ミネアポリス交響楽団 1961年11月25日録音

  3. 交響曲第5番 ニ長調 作品107 「 宗教改革」:ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団 1958年3月21日録音



今となってはそれほど注目される録音ではないのでしょうが、あらためて聞き直してみると、そのとんがり具合にはいささか感動させられます。そして、そのとんがり具合もまた、三者三様で実に面白いのです。
「アンタル・ドラティ」「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ」「ポール・パレー」と並べてみると、最も穏健な表現が期待されるのはドラティだと思うのですが、聞いてみて最も男性的な表現になっているので驚かされます。この「男性的」という言葉はかなり気を遣った言葉遣いであって「暴力的」と置き換えてもそれほど異論は出ないだろうと思うようなスタイルです。

ただし、この3つの中では録音年代が最も古いので、細部がそれほどクリアに録れていないという面も否定できません。しかし、それでもでっかいハンマーでぶん殴るような響きが充満していて驚かされます。
おそらく、「スコットランド」という愛称を持つこの憂愁に満ちた音楽の表現としては、この演奏は最大限の好意をもって見ても内角高めのかなりきわどいところをついたぎりぎりストライクと言うのが限界です。普通に見れば打者の胸元をえぐって仰け反らせる類のボールという感じでしょう。
ただし、これもまたいつも言っているように、あれこれの「スコットランド」を聞いてきていささか食傷気味だという人にとっては、その手のビーンボールもまた「かかってこい」感覚で面白いのかもしれません。

次に意外だったのは、この3人の顔ぶれならば最もシャープな表現を期待してしまうパレーが、結果としては最も正統派の表現に徹していることです。
第5番の「宗教改革」はこの3曲の中では最も甘さに溢れた音楽なのですから、その手の甘さを期待すれば肩すかしを食らうのですが、それでもエキセントリックな感じは全くしない範囲で堂々たるシンフォニーとして仕上げています。とりわけ、第3楽章の憂愁から最終楽章にかけての盛り上がりについては、ちょっと涙が出るほどの素晴らしさです。

そう言えば、彼とデトロイト響の代表作であるシューマンの交響曲全集では、最初の第4番(54年録音)では「ザッハリヒカイトという言葉が裸足で逃げていきそうなくらいの割り切れた演奏」だったのが、最後の第1番(58年録音)ではもう少し常識的な範疇に収まるようになっていました。
この「宗教改革」もシューマンの1番と同時期の録音ですから、考えてみれば当然なのかもしれません。

そして、最後の「Mr.S」ですが、これはもう怖ろしいまでのキレキレの「イタリア」です。
スクロヴァチェフスキは自分のことを基本的には「作曲家」だと認識していましたから、「表現したいことは全て楽譜に詰め込んまれている」というのが基本的なスタンスでした。ですから、そのスコアに書かれた音は全て聞き手に伝えるべき努力をするのが指揮者の仕事だというスタンスを絶対に崩さない人でした。そう言う彼の信念が最もよく表現されているのがこの「イタリア」の録音だと言えます。

彼の指揮者としてのキャリアは、セルの目にとまってクリーブランド管の客演に招かれた事がきっかけだったのですが、これを聞けば、セルの「イタリア」がきわめて叙情的で優美な演奏だったと思えるほどです。

まあ、それにしても、こういう3人を起用して、こんなにも多様性に満ちた録音を残していたこの時代のアメリカというのは、本当に凄い国だったんだ!!と、しみじみと感心させてくれます。(2016年11月9日:トランプ大統領誕生の日に記す)

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