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Home|ミトロプーロス(Dimitris Mitropoulos)|マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」

マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」

ミトロプーロス指揮 ニューヨークフィル 1955年10月4日録音



Mahler:交響曲第6番イ短調「悲劇的」「第1楽章」

Mahler:交響曲第6番イ短調「悲劇的」「第2楽章」

Mahler:交響曲第6番イ短調「悲劇的」「第3楽章」

Mahler:交響曲第6番イ短調「悲劇的」「第4楽章」


とても怖い音楽

わたしが初めてこの作品を聞いたのはセル&クリーブランドによるライブ録音でした。
いやぁ、実に怖い音楽でして、初めて聞いたときは夜中だったので、最後の一撃を食らったときは心臓が止まるかと思いました。
また、セル自身にとってもよほど出来がよかったのでしょう、ライブ録音であるにもかかわらず、他のスタジオ録音と同じ位置づけでリリースすることを許したようで、セルの一連のシリーズの中にも必ず収録されていました。完璧主義者のセルにしては実に珍しいことです。
しかし、考えようによっては、5管編成という巨大なオケの編成に加えて、初演時に「今後は、音楽学校は打楽器のための上級クラスを設けねばなるまい」などと揶揄されたほどの打楽器軍団が必要な作品だけに、別途スタジオ録音をするのが困難だったとも考えられます。

この作品は、初演を前にスコアが出版されるという稀有の存在でした。それは、当時のヨーロッパに於けるマーラーの権勢と、この作品に寄せるマーラーの自身のあらわれだったといえます。ですから、多くの専門家は初演を前にしてじっくりと研究し、さらには初演時にはスコアを見ながら聞くことができました。
しかし、マーラーという人は、出版した時点のスコアが「決定稿」という人ではありませんでした。このように巨大な作品となると、頭の中のイメージと、実際に音として再現したときでは少なからず食い違いがでるのは当然です。ですから、マーラーはどの作品においても、演奏を重ねるたびにスコアを書き直していく人でした。
そのことは、この6番の初演においても同様で、出版した楽譜はリハーサルの過程でどんどん変更されていったようなのです。

特に大きな違いは、第2楽章と第3楽章が出版された楽譜とマーラー自身による初演とでは入れ替わっていたこです。さらに、最終楽章の最後に振り下ろされるハンマーの回数が2回か3回かという問題もあります。
私にとってはどうでもいいような瑣末なことのように思えるのですが、これ一つで論文が書けるとのことなので、音楽学者たちにとっては良い飯の種になっているようです。

この作品を貫くコンセプトは明確です。
偉大なる英雄が、徹底的に戦い抜いた末についに力尽きて打ち倒される、というものです。
第1楽章冒頭は、付点音符が特徴的な英雄のイメージです。この英雄が第2楽章や第3楽章で、時に憩いや平安を得ながらも、ついに最終楽章で容赦のない闘争の場に引きずり出されます。そして、英雄は凄まじくも呵責のない運命と徹底的に戦い抜いた末に、最後は木っ端微塵に打ち砕かれて倒れ伏します。
そこにあるのは、甘い感傷などを一切寄せ付けない「悲劇」そのもののイメージです。チャイコフスキーの「悲壮」と比べてみれば、まったく似て非なることにすぐに気づくはずです。
また、チャイコフスキーの交響曲が基本的に私小説であったのに対して、マーラーの交響曲はそのようなライン上で捉えると誤ってしまうということにも気づかせてくれます。

最終楽章で振り下ろされるハンマーを、マーラー自身を襲った不幸に重ねる見方を時々見受けますが、音楽に真摯に耳を傾ければ、そのようなレベルをこえた「悲劇』が提示されていることはすぐに理解できるはずです。
そういう意味で、音楽の絶対性ということに方向を定めた、言葉をかえれば、マーラーの作品の中では最も強くベートーヴェンを意識した作品だといえるのではないでしょうか。

それにしても、最後の鉄槌が下される終わり方は何度聞いても恐い。いつも心臓がえぐられるような恐怖を覚えます。


絢爛たるオケの響きがすばらしい

ミトロプーロスという人は、今ではほとんど忘却の彼方にいってしまった人でしょう。
たまに話題に上るのは、バーンスタインの前にニューヨークフィルを率いていた指揮者という文脈の中であって、それもニューヨークフィルの低迷期という負の印象とともに語られるのが一般的です。

しかし、彼は偉大な指揮者でした。
その偉大な記憶力はいまも多くの神話をのこしています。
例えば、世界初演の曲がリハーサル初日にしか届かなかったために、その楽譜をホテルのロビーに並べさせて、でかける時にそれを順番に見ながらすべて記憶してリハに臨んだとか、ベルクの「ヴォツェック」を全幕暗譜で演奏したとか、その手の話題には事欠かない人でした。とにかく一度見た楽譜は絶対に忘れなかったようで、「鏡のごとき記憶力」と称されました。
ですから、彼の演奏の特徴は、その記憶力に裏打ちされた徹底的なスコアリーディングがもたらす精緻で理知的な音楽作りでした。音楽とは複雑であれば複雑であるほど「やり甲斐」を感じるようで、その意味でマーラーの音楽は彼にとってぴったりの作品だったようです。

彼が活躍した50年代は、マーラーという存在がほとんど忘れ去られていた時代でした。
私の手元に、60年代初頭の「作曲家別レコード総目録」が何冊かあるのですが、マーラーの交響曲はほんの数枚程度しかカタログにのっていません。
この時代に、積極的にマーラーを取り上げたのは、マーラーの弟子筋に当たるワルターやクレンペラーくらいでした。そういう「マーラーの使徒」とよばれた指揮者たちと比べると、ミトロプーロスは明らかにベクトルが異なります。

まずは、何が何でも師匠の音楽を世に認めさせようという「使命感」はありません。あるのは、マーラーの複雑極まるスコアを徹底的に分析して、それをもっとも望ましい形で現実の音に変換する興味だけ、といえば言いすぎかもしれませんが、それでもそういう知的興味が演奏の根底にあることは否定できません。
ですから、クレンペラーの演奏などと比べてもリズムの切れのよさと内部の見通しのよさはすばらしいものがあります。
しかし、マーラーが作品に託した文学的暗喩などにはまったく興味がなかったようで、この演奏においても「悲劇的」というタイトルにはまったく無頓着なようで、聞き終わったあとに残るのはひたすら絢爛にして豪華なオケの響きを堪能したという思いです。
それにしても、この録音は、55年のライブ録音ということなのですが、驚くほどクオリティが高いです。モノラル録音にもかかわらず楽器の分離も明瞭で、リズムの切れのよさもしっかりと捉えています。
ミトロプーロスは60年に亡くなるのですが、晩年はスタジオ録音にも恵まれず、いくらか残されているライブ録音も音質は芳しくないものが大部分でした。そして、そのようなプアな録音では、彼が目指したものを感じとるのは正直いってかなり困難でした。
その意味で、このような優れた録音でマーラーが聞けることで、少しはミトロプーロスという指揮者の姿がちらりとでも垣間見れたような気がしました。
(なお、どうでもいいことですが、ミトロプーロスは第2楽章がアンダンテ、第3楽章はスケルツォという初演の時の形で演奏しています)

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