<?xml version="1.0" encoding="euc-jp"?>
<?xml-stylesheet href="style.css" type="text/css"?>
<rdf:RDF
    xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
    xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
    xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
    xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">
    <channel rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/feed/feed.xml">
        <title>Blue sky label</title>
        <description></description>
        <link>http://www.yung.jp/</link>
        <image rdf:resource="http://www.yung.jp/gazou/rss.gif" />
       <dc:date>2026-07-03T06:07:10+00:00</dc:date>
        <items>
            <rdf:Seq>
                <rdf:li rdf:resource="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5899"/>
                <rdf:li rdf:resource="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5898"/>
                <rdf:li rdf:resource="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5897"/>
                <rdf:li rdf:resource="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5896"/>
                <rdf:li rdf:resource="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5895"/>
                <rdf:li rdf:resource="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5894"/>
                <rdf:li rdf:resource="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5893"/>
                <rdf:li rdf:resource="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5892"/>
                <rdf:li rdf:resource="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5891"/>
                <rdf:li rdf:resource="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5890"/>
            </rdf:Seq>
        </items>
    </channel>
    <image rdf:about="http://www.yung.jp/gazou/rss.gif">
        <title>Yung Site logo</title>
        <link>http://www.yung.jp/</link>
        <url>http://www.yung.jp/gazou/rss.gif</url>
    </image>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5899">
        <dc:format>text/html</dc:format>
        <dc:date>2026-07-01T15:00:00+00:00</dc:date>
        <dc:source>http://www.yung.jp/index.php</dc:source>
        <dc:creator></dc:creator>
        <title>ボッケリーニ:チェロ・ソナタ第6番 イ長調, G.4(Boccherini::Cello Sonata No. 6 in A Major, G.4)&gt;&gt;&gt;(Cell)エンリコ・マイナルディ:(P)カルロ・ゼッキ 1952年録音(Enrico Mainardi:(P)Carlo Zecchi Recorded on 1952)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5899</link>
        <description>&lt;h3&gt;伴奏楽器から主役へ&lt;/h3&gt;ルイジ・ボッケリーニのチェロソナタは、チェロという楽器を「伴奏楽器から主役への完全な脱皮」を果たしたともいえる重要な作品です。&lt;br /&gt;
ボッケリーニは通奏低音を支えるだけの楽器だったチェロを、ヴァイオリンに匹敵する高音域での旋律演奏を要求して主役になりうるポジションを与えました。さらに、素早いパッセージや重音奏法、そして独自の美しいフラジオレットなど、当時のチェロの限界に挑むような超絶技巧を盛り込んでいきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自らがチェロのヴィルトゥオーゾだったボッケリーニは30曲を超えるチェロ・ソナタを通して、わき役から主役への道を切り開いていったのです。&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;チェロ・ソナタ第6番 イ長調 G. 4&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
チェロ・ソナタ第6番 イ長調 G.4は、ボッケリーニのチェロソナタを代表する作品と言えます。、ひいては18世紀のチェロ音楽における最高峰の傑作として広く認められている作品です。&lt;br /&gt;
このソナタが突出して有名な理由は、19世紀の伝統的なチェロの教育課程やリサイタルにおいて、文字通り「必須のレパートリー」として定着したからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に第1楽章の、弾き始めた瞬間に空間がパッと明るくなるような「イ長調のアルペジオ主題」は非常にキャッチーで、世界中のチェロを学ぶ学生が必ず一度は通る道となっています。&lt;br /&gt;
ボッケリーニの全作品に通底する「優雅さ（ガルラント様式）」「イタリアの歌心」「超絶技巧」が最も完璧なバランスで結晶化したのが、このG.4です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1楽章：Adagio&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	一般的なソナタとは異なり、ゆったりとした Adagio で幕を開けます。&lt;br /&gt;
	冒頭、チェロが豊かな和音（重音）を伴いながら、堂々とした、しかし極めてエレガントな旋律を歌い出します。&lt;br /&gt;
	テンポは緩やかですが、細かな16分音符や32分音符の装飾的な音階、アルペジオが万華鏡のように散りばめられており、独奏者のセンスと高度なボーイングが試される、非常に内容の濃い楽章です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2楽章：Allegro&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	ソナタの実質的な「主役」とも言える、生命力に満ち溢れた急速楽章です。&lt;br /&gt;
	下から上へと一気に駆け上がるイ長調の分散和音のテーマが、聴き手に強烈な爽快感を与えます。&lt;br /&gt;
	曲が進むにつれ、旋律はチェロの最高音域へと突入します。親指を駆使したハイポジションのパッセージが連続し、ヴィルトゥオーゾ的な興奮をもたらします。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3楽章：Affettuoso&lt;/strong&gt;フィナーレは激しい爆発ではなく、ボッケリーニらしい気品に満ちた、ステップを踏むようなメヌエット風の音楽（Affettuoso）です。&lt;br /&gt;
	技巧的な緊張感から解放され、聴き手も演奏者も心地よい幸福感に包まれるような、穏やかで美しい幕切れを迎えます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5898">
        <dc:format>text/html</dc:format>
        <dc:date>2026-06-29T15:00:00+00:00</dc:date>
        <dc:source>http://www.yung.jp/index.php</dc:source>
        <dc:creator></dc:creator>
        <title>ハイドン:弦楽四重奏曲第69番 変ロ長調, Op.71, No.1 Hob.3:69(Haydn:String Quartet No.69 in B-flat major, Op.71, No.1 Hob.3:69)&gt;&gt;&gt;プロ・アルテ弦楽四重奏団:1933年12月12日録音(Pro Arte String Quartet]Recorded on December 12, 1933)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5898</link>
        <description>&lt;h3&gt;弦楽四重奏曲の道&lt;/h3&gt;&lt;h4&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲「第1アポーニー四重奏曲」, Op.71&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
一般的に「アポーニー四重奏曲」は「第1アポーニー四重奏曲」と「第2アポーニー四重奏曲」に分かれていますが、もともとは6曲から曲集でした。二つに分かれているのは3曲ずつ2集に分かれて出版されたからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハイドンは最初のイギリス旅行からウィーンに戻ると新作の弦楽四重奏曲の作曲に着手しています。最初のロンドン公演で「第2トスト四重奏曲」がザロモン・コンサートで好評だったからと思われます。&lt;br /&gt;
ただし、それが興行主であるザロモンによる依頼だったのか、ハイドン自身の発意によるものだったかは不明です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、ザロモン・コンサートではおよそ800人の聴衆を前に演奏されたと言われています。&lt;br /&gt;
それは、それまでの限られた貴族や友人を想定した音楽ではなく、公のホールで多くの聴衆を前提とした音楽になる必要がありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのために、今までのように複雑な和声や動機労作を駆使するのではなく、より簡潔で明確なコントラスト持ち、合わせてオーケストラを連想させるような響きを持たせる必要がありました。&lt;br /&gt;
また、第1楽章には短い序奏がつけられているのですが、それはまずは多くの聴衆の耳を惹きつける狙いがあったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、アポーニー四重奏曲と呼ばれるのは、この曲集がアントン・アポーニー伯爵に献呈されたからでした。&lt;br /&gt;
アポーニー伯爵は大変な音楽愛好家で自らもヴァイオリンを弾き、しばしな弦楽四重奏曲も演奏した人物だったようです。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第69番 Op.71-1 変ロ長調, Hob.III:69&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章はすべての楽器で変ロ長調の終止形が強奏されたあとに第1主題が呈示されます。第2楽章はアダージョの三部形式です。メヌエットの第3楽章に続く終楽章はヴィヴァーチェのソナタ形式で、最後は静かに音が弱められてPPで終わります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第70番 Op.71-2 ニ長調, Hob.III:70&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	4小節のアダージョの序奏に続いてアレグロのオクターブ跳躍が特徴的な第1主題が呈示されます。第2楽章は第1ヴァイオリンが静かな和音伴奏の上で主題を歌う歌アダージョの三部形式です。そして、メヌエットの第3楽章をはさんで終楽章はアレグレットの三部形式となっています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第71番 Op.71-3 変ホ長調, Hob.III:71&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	変ホ長調の主和音が強奏された後に弾むような第1主題が呈示されます。第2楽章はアンダンテ・コン・モートの変奏曲形式です。第3楽章はメヌエット楽章で、トリオのアウフタクトのリズムが特徴的です。&lt;br /&gt;
	終楽章は3部形式のヴィヴァーチェで、主題が原型通り再現されるとフェルマータで半終止し、コーダがフガート風に展開されて締めくくられます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;弦楽四重奏曲の道&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
貴族の館において「音楽」というものは部屋の装飾のようなものであったようです。言うまでもなく、何の装飾も施されていない殺風景な部屋に賓客を招くなどと言うことがあり得ないことです。ですから、賓客を招く場に音楽もまた必要不可欠のものでした。&lt;br /&gt;
しかし、装飾はあくまでも装飾であって、あまり自己主張をして表にしゃしゃり出てこられては困ります。ですから、そう言う時代における音楽は基本的に「ディヴェルティメント」だったといえます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ここで一つ問題が発生します。&lt;br /&gt;
部屋の装飾は貧弱なものよりはある程度の豪華さがあった方が見栄えが良いように、音楽もまたある程度の華やかさがあった方が良いと言うことになります。つまりはある程度の楽団員を常に雇用していて自前の管弦楽団を持っている方が良いと言うことになります。&lt;br /&gt;
しかし、それはある程度の領地を持っていてそれなりの収入が確保できる上級貴族ならば可能であっても、そこまでの領地を持たない中小の貴族にとってはそう言う楽団を保持し、維持することは不可能でした。&lt;br /&gt;
もちろん、特別に重要な式典などであれば臨時に管弦楽団を編成することもあったでしょうが、それを日常的に維持していけるのは、後のハイドンの雇い主になるエステルハージ侯のような一握りの大貴族に限られていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで、そう言う問題を解決するために、少人数の演奏家でも演奏が可能な「室内楽」というものへの需要が発生します。しかしながら、現在では室内楽と言えば「弦楽四重奏曲」に代表されるようないささか取っつきにくい小難しい音楽を想像してしまうのですが、この時代における「室内楽」もまた「シンプルであっても上品な部屋の装飾」という役割が期待されていましたから、それもまた基本的には「ディヴェルティメント」でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、管弦楽の場合で言えば、その後様々な紆余曲折を経て最後は「交響曲」という王道に辿り着くのですが、室内楽もまた最後は「弦楽四重奏曲」という王道に辿り着くことになります。そして、この二つの王道の頂点を極めたのがベートーベンであったことに異論を唱える人はいないと思うのですが、当然の事ながらその偉業はベートーベン一人で成し遂げたものではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
交響曲というジャンルで言えばその前にハイドンによる長い開拓の歴史がありました。そして、その事は多くの人に認知されていて、ハイドンには「交響曲の父」という尊称が奉られています。&lt;br /&gt;
「弦楽四重奏曲」に関してもハイドンの貢献を否定する人はいないでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしながら、ハイドンがたどった交響曲や弦楽四重奏曲の道程を実際に自分の耳で実感することはそれほどたやすくはありません。確かに、ハイドンが残した交響曲や弦楽四重奏曲は単独で聞いても素晴らしい作品が目白押しです。しかし、それらの作品の真価もまた彼がたどった長い道程を俯瞰して、その全体像の中に位置づけられてこそより深くその真価がわかるものです。&lt;br /&gt;
私はそのことをゴバーマンによる交響曲の全曲録音を目指したチャレンジに接することで身に染みて思い知らされました。その試みはゴバーマンの突然の死によって未完に終わったのですが、それでも彼が残した数多くの録音によってハイドンがたどった交響曲の道の全体像が少しは見えてくるようになったからです。&lt;br /&gt;
つまりは、ハイドンの交響曲というのは個々の作品への評価も重要なのですが、真に評価すべきはその総体としての「交響曲の道」なのです。&lt;br /&gt;
そして、そのことは弦楽四重奏曲においても同様なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おそらく、ハイドンの初期や中期の弦楽四重奏曲を次々と聞かされればうんざりする人もいるでしょう。しかし、それを我慢して聞き続けてくれることでハイドンの「弦楽四重奏曲の道」が少しずつ見えてきたならば、そういう初期・中期作品の魅力を感じ取っていただけるでしょう。そして、彼の業績はそういう一つの様式にチャレンジし続けた総体としてとらえてこそ、ハイドンの姿が本当に理解できるのではないかと思うのです。</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5897">
        <dc:format>text/html</dc:format>
        <dc:date>2026-06-27T15:00:00+00:00</dc:date>
        <dc:source>http://www.yung.jp/index.php</dc:source>
        <dc:creator></dc:creator>
        <title>プロコフィエフ：ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ長調 Op.94(Prokofiev:Violin Sonata No.2 In D Major, Op.94)&gt;&gt;&gt;(Vn)ダヴィド・オイストラフ:(P)ウラディーミル・ヤンポルスキー 1955年5月22日録音(David Oistrakh:(P)Vladimir YampolskyRecorded on May 22, 1954)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5897</link>
        <description>&lt;h3&gt;暗い時代に咲いた「奇跡の明るさ」&lt;/h3&gt;このヴァイオリン・ソナタ第2番は、もともとはヴァイオリンのためではなく「フルート・ソナタ」として書かれました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1942年から1943年にかけて、プロコフィエフは第二次世界大戦の戦火を避けた疎開先で、のびやかで古典的な「フルート・ソナタ ニ長調（Op. 94）」を書き上げました。&lt;br /&gt;
このフルート・ソナタの美しい旋律に惚れ込んだのがダヴィド・オイストラフでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オイストラフは「この素晴らしい曲をヴァイオリンでも弾けるように編曲してほしい」とプロコフィエフに熱烈にアプローチします。&lt;br /&gt;
プロコフィエフはオイストラフの助言（ヴァイオリン特有の重音やピッツィカートの追加など）を取り入れながら、1944年にヴァイオリン版を完成させました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
楽曲の構成全体は古典的な 4つの楽章 から構成されており、前衛的でトゲのあるバルトークのソナタとは対照的に、透き通った叙情性と、プロコフィエフらしい「おとぎ話」のようなユーモアが同居しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1楽章：Moderato&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	冒頭からヴァイオリン（原曲ではフルート）が、どこか懐かしく、気品に満ちた美しいテーマを歌い上げます。&lt;br /&gt;
	プロコフィエフの「新古典主義」的な側面が最もよく現れた、端正で穏やかな楽章です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2楽章：Presto&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	遊び心と毒気に満ちた、急速なスケルツォ楽章です。&lt;br /&gt;
	追いかけっこをするようなシンコペーションのリズムや、中間部でのロマンティックなワルツ風の旋律など、映画音楽のようなドラマチックな展開が魅力です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3楽章：Andante&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	一転して、夢の中にいるような内省的で美しい緩徐楽章です。&lt;br /&gt;
	ヴァイオリンの弱音器（ミュート）を用いた繊細な響きや、ジャズの語口を思わせるしなやかなリズムが、けだるくも心地よい空間を作り出します。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第4楽章：Allegro con brio&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	輝かしいエネルギーに満ちあふれたフィナーレです。&lt;br /&gt;
	推進力のある力強いテーマが何度も回帰するロンド形式で、ヴァイオリンの華やかな超絶技巧（重音の連続や激しいボウリング）が炸裂します。&lt;br /&gt;
	最後はピアノと共に圧倒的な歓喜の中、力強く曲を閉じます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曲が作曲された1942~1944年といえば、ソ連がナチス・ドイツとの激しい戦争の真っ只中にあった時期です。&lt;br /&gt;
同時期に書かれた第1番のソナタや交響曲第6番などが、戦争の恐怖や厳粛さを反映して非常に重く暗いトーンを持っているのに対し、この第2番は驚くほどピュアで、古典的な光に満ちています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プロコフィエフは、あえて過酷な現実から距離を置き、「純粋な音楽の美」を追求することで、聴き手や自分自身を癒そうとしたのかもしれません。&lt;br /&gt;
まさに、暗い時代に咲いた「奇跡の明るさ」と言えるのかもしれません。</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5896">
        <dc:format>text/html</dc:format>
        <dc:date>2026-06-25T15:00:00+00:00</dc:date>
        <dc:source>http://www.yung.jp/index.php</dc:source>
        <dc:creator></dc:creator>
        <title>ヘンデル:ヴィオラと管弦楽のための協奏曲(偽作)(Handel:Viola Concerto in B Minor)&gt;&gt;&gt;ルドルフ・バルシャイ指揮&amp;ヴィオラ:モスクワ室内管弦楽団 1959年録音(Rudolf Barshai:(Viola)Rudolf Barshai Moscow Chamber Orchestra Recorded on 1959)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5896</link>
        <description>&lt;h3&gt;偽作でも素晴らしい！！&lt;/h3&gt;この曲はヘンデルが書いたものではなく、20世紀のフランスのヴィオラ奏者・作曲家であるアンリ・カサドシュ（Henri Casadesus, 1879?1947）による「偽作」であることが現在では判明しています。&lt;br /&gt;
1924年、カサドシュは「ヘンデルの未発表の楽譜を発見し、自分がヴィオラと管弦楽のために編曲した」という体裁でこの曲を出版しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時は、ヴィオラの独奏レパートリーが非常に不足していました。また、古い時代の埋もれた名曲を発見して世に出すブームもあり、カサドシュはあえて大作曲家の名前を借りて発表したと言われています。&lt;br /&gt;
クライスラーが古い作曲家の名前を借りてヴァイオリン曲を書いたのと似たケースです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とはいえ、聞いてもらえば分かるように、ヘンデルの名前は借りているものの、作品としての完成度は非常に高く、バロック風の気品とロマン派的な瑞々しさが絶妙に融合しています。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1楽章：Allegro moderato&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	力強く、どこか哀愁を帯びた主題で始まります。&lt;br /&gt;
	ヴィオラの深みのある低音から華やかな高音までがバランスよく使われており、バロック音楽らしいカッチリとした推進力があります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2楽章：Andante ma non troppo&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	一転して、非常に美しく牧歌的な楽章です。&lt;br /&gt;
	ここでは伴奏のフルートとファゴットがソロ・ヴィオラと優しく会話を交わすように響き、温かみのある穏やかな空間を作り出します。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3楽章：Allegro molto（ロ短調）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	軽快で躍動感あふれるフィナーレです。&lt;br /&gt;
	ヴィオラが細かく速いパッセージを小気味よく刻み、技術的な聴きどころも満載です。&lt;br /&gt;
	短調ですが、暗さはなく非常に爽快な終わり方をします。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
クラシック音楽の歴史において「偽作」と判明した曲は演奏されなくなることも多いのですが、この曲は例外です。&lt;br /&gt;
現在でもヴィオラの重要なスタンダード・レパートリーとして、ウィリアム・プリムローズをはじめとする往年の大ヴィオラ奏者たちも好んで録音を遺しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヘンデルの真作ではないと分かってもなお、「ヴィオラという楽器の魅力を最大限に引き出した」楽曲として色褪せない魅力を放ち続けています</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5895">
        <dc:format>text/html</dc:format>
        <dc:date>2026-06-22T15:00:00+00:00</dc:date>
        <dc:source>http://www.yung.jp/index.php</dc:source>
        <dc:creator></dc:creator>
        <title>バッハ:教会カンタータ 「すべてはただ神の御心のままに」 BWV72(J.S.Bach:Alles nur nach Gottes Willen, BWV 72&gt;&gt;&gt;ギュンター・ラミン指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 トーマス教会少年合唱団 (Org)ハンネス・カストナー (S)(A)トーマス教会少年合唱団よりソリスト (Bass)ハンス・ハウプトマン 1956年2月3日録音(Gunther Ramin:Gewandhausorchester Leipzig Thomanerchor Leipzig (Org)Hannes Kastner (S)Soloists from Thomanerchor Leipzig (A)Soloists from Thomanerchor Leipzigr (Bass)Hans Hauptmann Recorded on February 3, 1956)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5895</link>
        <description>&lt;h3&gt;苦難の時であっても&lt;/h3&gt;&lt;h4&gt;バッハ:教会カンタータ 「すべてはただ神の御心のままに」 BWV72&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
ライプツィヒ時代の第3年目、1726年1月27日の「顕現節後第3日曜日」に初演された作品です。&lt;br /&gt;
この日の聖書日課（マタイによる福音書第8章）に登場する「ハンセン病を患う人をイエスが深く憐れみ、その信仰に免じて癒す」というエピソードに基づいています。&lt;br /&gt;
「苦難の時であっても、人間の理屈を捨て、ただ神の御心にすべてを委ねることで、魂は真の救いと癒しを得る」という、プロテスタントの核心的な信仰が力強く歌い上げられます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;合唱（Alles nur nach Gottes Willen）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	弦楽器と2本のオーボエが、嵐のように激しくうねる16分音符のフィギュレーション（音型）を執拗に繰り返します。&lt;br /&gt;
	これは「神の御心」という巨大な運命の力、あるいは人間の激しい心の葛藤を象徴しているかのようです。合唱は非常に即興的、かつカノン風に「すべてはただ神の御心のままに！」と力強く叫び、どんな状況でも神に従う決意を圧倒的なエネルギーで提示します。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2曲：レチタティーヴォとアリオーソ（アルト）（O selger Christ, der allzeit seinen Willen）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	理性を捨てて神に従うことの幸福を語るレチタティーヴォですが、後半の「主よ、御心のままに（Herr, es geschehe dein Wille）」という祈りのフレーズに差し掛かると、拍子が変わり、息の長い感動的な「アリオーソ（旋律的な朗唱）」へと変化します。&lt;br /&gt;
	バッハの深い宗教性が滲み出る美しい瞬間です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3曲：アリア（アルト）（Mit Allem, was ich habe und bin）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	打って変わって、2分の2拍子の快活で軽やかなアリアです。&lt;br /&gt;
	ヴァイオリンのステップを踏むような生き生きとしたリズムに乗せて、「私の持つもの、私という存在のすべてを神に捧げます」と、迷いの晴れた晴れやかな喜びを歌います。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第4曲：レチタティーヴォ（バス）（So glaubt und hofft ihr rechten Christen）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	バス（教会の宣教者の声を象徴）が、信じる者たちに向かって「神への信頼を失ってはならない。神の慈しみは必ず現れる」と、力強く語りかけます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第5曲：アリア（ソプラノ）（Mein Jesus will es tun, er will dein Kreuz verjungen）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	オーボエと弦楽器が一体となった、非常に優美で舞曲風（ポロネーズ調）の親しみやすいアリアです。&lt;br /&gt;
	「イエス様がそうしてくださる。あなたの十字架（苦難）を希望に変え、恵みを与えてくださる」と、ソプラノが優しく慰めるように歌います。&lt;br /&gt;
	イエスの癒しの力を確信する、本作の中で最も甘美な音楽です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第6曲：コラール（合唱）（Was mein Gott will, das g'scheh allzeit）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク（プロイセン公）が作詞した有名な賛美歌「わが神の御心のままに、常に成らせたまえ」の第1節を、全楽器を重ねた厳かな4部合唱で歌います。&lt;br /&gt;
	どんな苦難にあっても神は我らを捨てないという確信とともに、全曲を堂々と締めくくります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;バッハの教会カンタータの概要&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッハの教会カンタータを総括的に纏め上げてその詳細を述べる能力はありません。さらに言えば、すでに多くの優れたサイトが存在しますので、詳しくはそちらへ！と済ませたいところです。&lt;br /&gt;
しかし、それではあまりにも不親切ですし、さらには自分自身の勉強のためという意味合いも込めて、できる範囲で概観しておきたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まずは、「バッハの教会カンタータとはどのような音楽」だったのか？ということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツにおいては、今でも日曜日の礼拝でバッハのカンタータを演奏することは日常的な出来事です。それこそ、大小様々な教会において、アマチュアのみならず有名なプロの演奏家もまじえてそれらのカンタータが演奏されます。&lt;br /&gt;
若い頃に何度かヨーロッパを訪れたときには、そのおこぼれに預かったことが何度かあります。&lt;br /&gt;
ですから、バッハの教会カンタータはドイツ人の中においては血肉化していると言っていいほどです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、年の暮れが近づいたときにだけ「にわかキリスト教徒」になり、それから1週間もすれば神社で手を合わせるような国民にとってはその音楽はなじみが深いとは言えません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、それなりにクラシック音楽を聴きなじんでいる人でも、その音楽の佇まいは古典派以降の音楽とはかなり異なります。&lt;br /&gt;
そう言う意味では、古典派の時代になると、バッハの音楽が時代遅れの遺物として忘れ去られた事には理由があるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ですから、「バッハの教会カンタータとはどのような音楽」だったのか？と言う問いに明確な形を得ようとすれば、メンデルスゾーンとともにバッハ・ルネッサンスを実現させたハウプトマンの言葉はきわめて有益です。&lt;br /&gt;
ハウプトマンはバッハの教会カンタータを列車にたとえて、次のように説明してくれています。&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;まずは、先頭に機関車役の導入合唱がきます。&lt;br /&gt;
そして、その機関車に引っ張られるように客車であるアリアやレチタティーボが続きます。&lt;br /&gt;
最後に、郵便列車とも言うべきコラールが連結されます。&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、200をこえるカンタータの全てがこのような形式を持っているわけではありませんが、しかしこの「概観」は私たちにスタンダードとなるべき一つのフォルムを与えてくれます。&lt;br /&gt;
そして、列車にとってそれを引っ張っていく機関車が主役であるのと同様に、カンタータにおいても冒頭合唱こそが最も重要なんだと言うことをはっきりと示してくれます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまりは、バッハの教会カンタータとは強力な冒頭合唱によって音楽全体が牽引され、そこに伝統的なイタリア・オペラのように魅力あふれる詩を歌い上げるアリアとレチタティーボが展開し、最後をコラールが締めくくるのです。&lt;br /&gt;
音楽を聴くには蘊蓄は不要とは言いますが、それでもこういうフォルムが頭に入っているのといないのとでは、やはり聞きやすさは随分と違ってきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次の問いかけは、「バッハの教会カンタータの適切なグルーピングは如何に？」です&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さすがに200をこえるカンタータを一つの括りとしてとらえるのは、ちと、しんどい話です。&lt;br /&gt;
そこで、たとえば創作の年次や形式などによっていくつかのグループにまとめることができれば、全体像の把握がやりやすくなります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と言うことで、まずは創作年次によるグルーピングです。&lt;br /&gt;
残された記録によると、バッハはその生涯において300をこえるカンタータを創作したと言われていますが、現在まで楽譜が残っているのは200程度です。そして、その残されたカンタータの成立年次を調べてみると、最初期のミュールハウゼンのオルガニスト時代（1707年）から最後のライプツィヒ時代の中頃（1735年）までにわたります。&lt;br /&gt;
つまりは、教会カンタータという音楽形式による創作活動はバッハの生涯のほぼ全てを覆っているわけで、このような音楽形式はこれ以外ではオルガン曲しか存在しません。その意味では、教会カンタータを通してバッハという音楽家の全体像を概観できると言うことを意味しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、さらに細かく見ていくと、ミュールハウゼン時代からライプツィヒ時代にわたって満遍なく創作活動が続けられたわけではないことに気づきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ミュールハウゼンのオルガニスト時代はわずか1年しかなかったのですから、この時代の作品が少ない（おそらく6曲）ことは納得がいきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、それに続くヴァイマール時代（1708年~1717年）は、楽士長に就任した1714年からは月に1曲の教会カンタータの創作が義務となったので、バッハは4年をかけて1教会暦年を満たすことのできるカンタータのセットを創作しようとしたようです。しかし、この試みは人事上のいざこざとすったもんだの末にバッハがこの宮廷を去ってしまったので、志半ばで放棄されてしまうことになります。&lt;br /&gt;
しかし、この時代に生み出されたカンタータはミュールハウゼン時代のカンタータとは全く異なる音楽になっています。それは、ハウプトマンが指摘したような、強力な冒頭合唱によってアリアとレチタティーボが牽引される、バッハ独特の形式がこの時代に出来上がったことを教えてくれます。&lt;br /&gt;
この時代に創作された教会カンタータはおそらく22曲程度だろうと思われます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、これに続くケーテン時代（1717年~1723年）にはいると教会カンタータの創作はぱたりと途絶えます。それは、ケーテンの宮廷がカルヴァン派だったために、教会での礼拝に大規模なカンタータを必要としなかったからです。新年や領主の誕生日には世俗カンタータが演奏されたようなのですが、そのあたりのことも含めて詳細はよく分かっていないようです。&lt;br /&gt;
ただし、この時代のバッハは教会の仕事から解放されたが故に、器楽や室内楽による世俗音楽を（無伴奏のチェロやヴァイオリンの組曲、ブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲など）大量に生み出すこととなります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、これに続くライプツィヒ時代（1723年~1750年）こそが、バッハの教会カンタータにとっての黄金時代となります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ライプツィヒ市のトーマス・カントールという地位についたバッハは、教会における日曜礼拝を全て自作のカンタータで行うことを目指します。この壮大な試みは1723年5月30日にスタートし2年後の1725年5月27日まで続けられます。さらに、同じ年の12月25日のクリスマスからスタートし翌年の11月24日までの1年間もほぼ切れ目なく自作のカンタータで礼拝を行ったようです。&lt;br /&gt;
結果として、このバッハの精勤によって、キリスト教会は3年分のカンタータのセットを手に入れることになります。そして、ドイツの教会は、今も日曜日になると、このバッハのカンタータを倦むことなく演奏し続けることができるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さすがに、1727年以降になると、新作のカンタータを創作する必然性が低下するので作曲のペースは次第に低下していくのですが、それでも資料などによると1735年頃まではポツポツと生み出されていたようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ですから、ザックリとグルーピングをすれば以下のようになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;若き日のミュールハウゼン時代の作品&lt;/strong&gt;（4・131・106・71・196・150）：&lt;strong&gt;初期様式&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ヴァイマール時代&lt;/strong&gt;（18・208・12・21・54・61・152・172・182・199・31・80・132・161・162・163・165・185・63・70・155・186・147）:&lt;strong&gt;バッハの独自な様式が確立&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ケーテン時代:教会カンタータの創作から離れる&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ライプツィヒ時代（1723年~1725年）&lt;/strong&gt;：（22・23・24・25・40・46・48・64・69・70・75・76・77・89・90・95・105・109・119・136・138・147・167・179・186・194・60・148・158・2・5・7・8・10・20・26・33・37・38・44・59・62・65・66・67・73・78・81・83・86・91・93・94・96・99・101・104・107・113・114・115・116・121・122・130・133・134・135・139・144・153・154・166・178・180・181・184・190・80・173・1・3・6・28・36・41・42・57・68・74・85・87・92・103・108・110・111・123・124・125・126・127・128・151・164・168・175・176・183）:&lt;strong&gt;教会カンタータ創作の黄金時代（1）&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ライプツィヒ時代（1725年~1726年）&lt;/strong&gt;：（79・137・13・16・17・19・27・35・36・39・43・45・47・49・52・55・56・72・88・98・102・169・170・187）:&lt;strong&gt;教会カンタータ創作の黄金時代（2）&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ライプツィヒ時代（1727年~1735年）&lt;/strong&gt;（129・58・82・193・84・188・197・146・157・120・149・117・216・174・120・145・156・159・171・51・120・192・29・112・140・177・9・100・97:&lt;strong&gt;やりきった後にも生み出された作品&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参考にした資料は「作曲家別名曲ライブラリー」の巻末データです。（あー、しんどかった＾＾；）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッハという音楽家は若くして完成していたとも言われるのですが、この教会カンタータのように、その時々のアイデアや実験的試みを野心的に投入した作品だと、初期のミュールハウゼン時代からライプツィヒの黄金時代に向けて成熟を深めていく様子が様子がうかがえます。特に導入合唱の充実ぶりはライプツィヒの黄金時代の特徴だと言えます。</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5894">
        <dc:format>text/html</dc:format>
        <dc:date>2026-06-20T15:00:00+00:00</dc:date>
        <dc:source>http://www.yung.jp/index.php</dc:source>
        <dc:creator></dc:creator>
        <title>アイルランド民謡「ミンストレル・ボーイ」(Rose Plays the Minstrel Boy &amp; Others)&gt;&gt;&gt;(T)クリストファー・リンチ:(Cello)レナード・ローズ (Flute)ジョン・ワマー (Harp)ローラ・ニューウェル 1947年録音(Christopher Lynch:(Cello)Leonard Rose (Flute)John Wummer (Harp)Laura Newell Recorded on 1947)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5894</link>
        <description>&lt;h3&gt;アイルランド歌曲集&lt;/h3&gt;「Rose Plays the Minstrel Boy &amp; Others」におさめられているのですが、そのタイトルに反して、メインはレナード・ローズ ではなくてテノールのクリストファー・リンチです。&lt;br /&gt;
アイルランド出身のクリストファー・リンチの歌唱に、レナード・ローズ（チェロ）、ジョン・ワマー（フルート）、ローラ・ニューエル（ハープ）というメンバーが伴奏をつけたアイルランド歌曲集です。&lt;br /&gt;
これらの楽曲はすべて、アイルランドの伝統的な歌曲と、20世紀初頭にアメリカなどで流行したアイリッシュ・ソングです。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;The Minstrel Boy（ミンストレル・ボーイ / 吟遊詩人の少年）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	アイルランドを代表する非常に有名な愛国歌です。&lt;br /&gt;
	詩人トーマス・ムーアが古くからある伝統的なメロディ（The Moreen）に歌詞をつけました。&lt;br /&gt;
	ハープを背負って戦場に赴き、自由のために命を捧げた少年兵の悲壮な覚悟が描かれています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;The Garden Where the Praties Grow（プラティが育つ庭）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	「Praties（プラティ）」とはアイルランドの主食であるジャガイモのこと。&lt;br /&gt;
	ジャガイモ畑で働く美しい少女に恋をした男の、少し不器用でチャーミングな求婚の様子を描いた、ユーモラスで温かみのある伝統歌です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;The Rose of Tralee（トラリーの薔薇）作曲: チャールズ・ウィリアム・グローヴァー&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	アイルランド南西部の町トラリーを舞台にした、時代を超えて愛される美しく切ないラブソングです。&lt;br /&gt;
	現在でもアイルランドでは、世界中のアイルランド系女性から「トラリーの薔薇」を選ぶ有名なフェスティバルが毎年開催されています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;The Palatine's Daughter（パラタインの娘）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	軽快なリズムが特徴的なアイルランドの伝統歌。&lt;br /&gt;
	18世紀初頭にドイツ（プファルツ地方＝Palatinate）からアイルランドのリムリックやティペラリーに移住してきた「パラタイン（ドイツ系移民）」の娘と、地元の若者の恋と結婚をテンポよく歌っています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;A Little Bit Of Heaven (Sure, They Call It Ireland)（天国のかけら、人はそれをアイルランドと呼ぶ）作曲: アーネスト・ローランド・ボール&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	「アイルランドという島は、天使が天国から落としたほんの少しの“かけら”でできているんだ」と歌う、祖国（または祖父母の故郷）への愛に満ちたノスタルジックな名曲です。&lt;/li&gt;	&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;A Ballynure Ballad（バリーニュアのバラッド）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	アルトリム州のバリーニュアという町を舞台にした、リズミカルで少しとぼけた味わいのある伝統的な恋の歌です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;When Irish Eyes Are Smiling（アイルランドの瞳が微笑むとき）作曲: アーネスト・ローランド・ボール&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	アメリカのブロードウェイ・ミュージカルのために書かれ、世界中で大ヒットした「アイリッシュ・アメリカン」の代名詞的な名曲。&lt;br /&gt;
	非常に明るく、聴くだけで心が温かくなるメロディで、アイルランド系の人々が集まる場（セント・パトリックス・デーなど）では今も必ず歌われます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;The Young May Moon（若い五月の月）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	こちらもトーマス・ムーアの詩によるもので、伝統的な空気感を持つロマンチックな夜の恋歌。&lt;br /&gt;
	「五月の美しい月夜に、恋人よ、起きて一緒に出かけよう」と誘う、軽やかで美しいメロディです。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;You'd Better Ask Me（私に聞いてごらんなさい）作曲: ヘルマン・レール&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	イギリスの作曲家ヘルマン・レール（「どこか遠くへ（Where My Caravan Has Rested）」などで有名）による、どこかアイルランドのフォークソング風の情緒を持った、愛らしくキャッチーな歌曲です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5893">
        <dc:format>text/html</dc:format>
        <dc:date>2026-06-18T15:00:00+00:00</dc:date>
        <dc:source>http://www.yung.jp/index.php</dc:source>
        <dc:creator></dc:creator>
        <title>ハイドン:弦楽四重奏曲第66番 ト長調, Op.64, No.4, Hob.3:66(Haydn:String Quartet in G major, Op.64, No.4, Hob.3:66)&gt;&gt;&gt;プロ・アルテ弦楽四重奏団:1937年11月16日録音(Pro Arte String Quartet:Recorded on November 16, 1937)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5893</link>
        <description>&lt;h3&gt;弦楽四重奏曲の道&lt;/h3&gt;&lt;h4&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲「第2トスト四重奏曲」, Op.64&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
作品64の「第2トスト四重奏曲」には、トストからの依頼があったという記録は残っていません。&lt;br /&gt;
ヨハン・トストというのはずいぶんと面白い人物だったようで、ヴァイオリンを演奏しながら実業家としても活動していて、軍需品の政府納入によって財をなしたようです。そして、ボヘミアなどに織物工場を形成して成功を収めます。そして、エステルハージ家の家事管理人だった「マドモワゼル・ナネッテ」と結婚をします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにマドモワゼル・ナネッテは、侯爵夫人が亡くなった後に家事全般を取り仕切った女性で、ハイドンは彼女のことを「女主人」と読んでいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「第2トスト四重奏曲」はそんなトストとマドモワゼル・ナネッテが結婚した年に作曲されています。&lt;br /&gt;
その結婚に際して彼らがハイドンに作曲を依頼したという記録は残っていないのですが、この曲集にはトストが限定的なものながら権利を持っていました。&lt;br /&gt;
おそらく、マドモワゼル・ナネッテからの何らかの依頼があったものだと考えられます、と、いうことでこの曲集もまた「トスト四重奏曲」と呼ばれるようになったよりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なおこの曲集のややこしいのは作品の並び順です。&lt;br /&gt;
ハイドン全集では、曲順はHob.III:65,68,67,66,64,63という並び方を採用しています。&lt;br /&gt;
初版はハイドンの許諾も得て「ヨハン・トスト氏に献呈 作品65」として出版されていて、Hob.III:65,68,67,66,63,64という順番だったようです。&lt;br /&gt;
それでは、Hob.III:63,64,65,66,67,68という並び方は何なのかというと、ザロモン・コンサートでの演奏譜に基づいて出版されたプレイエル全集版に基づくものだそうです。&lt;br /&gt;
このあたり、本当にややこしい！！&lt;br /&gt;
ここではハイドン全集に倣っておきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第63番 ニ長調「ひばり」 Op.64-5, Hob.III:63&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	「ひばり」としてよく知られています。冒頭の雲雀の主題は印象的で、明快なメロディが楽しい音楽です。この第1楽章は変則的なソナタ形式となっています。アダージョ楽章とフィナーレは三部形式でメヌエットは第3楽章におかれています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第64番 変ホ長調 Op.64-6, Hob.III:64&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章はソナタ形式で、展開部では対位法的な書法が特徴的です。第2楽章は表情豊かな短調の世界が展開されます。メヌエットは第3楽章におかれトリオを二つ持ちます。&lt;br /&gt;
	フィナーレはハイドンにとっては定型とも言うべきプレスト・ロンドで、どこかオーケストラ的な響きになっています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第65番 ハ長調 Op.64-1, Hob.III:65&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	両端楽章がソナタ形式で、緩徐楽章が第3楽章におかれています。この緩徐楽章は変奏曲形式で美しく魅力的です。第2楽章はメヌエット楽章です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第66番 ト長調 Op.64-4, Hob.III:66&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章はソナタ形式で、第2主題が属短調で開始されるのは初期の手法を思い出させます。第2楽章はメヌエット楽章で、第3楽章のアダージョは三部形式で美しい楽章です。&lt;br /&gt;
	終楽章はノットゥルノ第7番を思い出させるジーグ楽章に基づくソナタ形式です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第67番 変ロ長調 Op.64-3, Hob.III:67&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	両端楽章はソナタ形式で、とりわけ第1楽章は多様な楽想を持っています。第2楽章はアダージョ楽章で三部形式と変奏曲形式が混合したような形式です。第3楽章のメヌエットはリズム的な対比が特徴的です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第68番 ロ短調 Op.64-2, Hob.III:68&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章はかなり自由な構成によるソナタ形式で、終楽章は舞曲的な雰囲気が支配的なソナタ形式です。第2楽章のアダージョは2主題による変奏曲形式となっています。&lt;br /&gt;
	第3楽章のメヌエットはリズム感の鋭いモティーフを軸として構成されています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;弦楽四重奏曲の道&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
貴族の館において「音楽」というものは部屋の装飾のようなものであったようです。言うまでもなく、何の装飾も施されていない殺風景な部屋に賓客を招くなどと言うことがあり得ないことです。ですから、賓客を招く場に音楽もまた必要不可欠のものでした。&lt;br /&gt;
しかし、装飾はあくまでも装飾であって、あまり自己主張をして表にしゃしゃり出てこられては困ります。ですから、そう言う時代における音楽は基本的に「ディヴェルティメント」だったといえます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ここで一つ問題が発生します。&lt;br /&gt;
部屋の装飾は貧弱なものよりはある程度の豪華さがあった方が見栄えが良いように、音楽もまたある程度の華やかさがあった方が良いと言うことになります。つまりはある程度の楽団員を常に雇用していて自前の管弦楽団を持っている方が良いと言うことになります。&lt;br /&gt;
しかし、それはある程度の領地を持っていてそれなりの収入が確保できる上級貴族ならば可能であっても、そこまでの領地を持たない中小の貴族にとってはそう言う楽団を保持し、維持することは不可能でした。&lt;br /&gt;
もちろん、特別に重要な式典などであれば臨時に管弦楽団を編成することもあったでしょうが、それを日常的に維持していけるのは、後のハイドンの雇い主になるエステルハージ侯のような一握りの大貴族に限られていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで、そう言う問題を解決するために、少人数の演奏家でも演奏が可能な「室内楽」というものへの需要が発生します。しかしながら、現在では室内楽と言えば「弦楽四重奏曲」に代表されるようないささか取っつきにくい小難しい音楽を想像してしまうのですが、この時代における「室内楽」もまた「シンプルであっても上品な部屋の装飾」という役割が期待されていましたから、それもまた基本的には「ディヴェルティメント」でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、管弦楽の場合で言えば、その後様々な紆余曲折を経て最後は「交響曲」という王道に辿り着くのですが、室内楽もまた最後は「弦楽四重奏曲」という王道に辿り着くことになります。そして、この二つの王道の頂点を極めたのがベートーベンであったことに異論を唱える人はいないと思うのですが、当然の事ながらその偉業はベートーベン一人で成し遂げたものではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
交響曲というジャンルで言えばその前にハイドンによる長い開拓の歴史がありました。そして、その事は多くの人に認知されていて、ハイドンには「交響曲の父」という尊称が奉られています。&lt;br /&gt;
「弦楽四重奏曲」に関してもハイドンの貢献を否定する人はいないでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしながら、ハイドンがたどった交響曲や弦楽四重奏曲の道程を実際に自分の耳で実感することはそれほどたやすくはありません。確かに、ハイドンが残した交響曲や弦楽四重奏曲は単独で聞いても素晴らしい作品が目白押しです。しかし、それらの作品の真価もまた彼がたどった長い道程を俯瞰して、その全体像の中に位置づけられてこそより深くその真価がわかるものです。&lt;br /&gt;
私はそのことをゴバーマンによる交響曲の全曲録音を目指したチャレンジに接することで身に染みて思い知らされました。その試みはゴバーマンの突然の死によって未完に終わったのですが、それでも彼が残した数多くの録音によってハイドンがたどった交響曲の道の全体像が少しは見えてくるようになったからです。&lt;br /&gt;
つまりは、ハイドンの交響曲というのは個々の作品への評価も重要なのですが、真に評価すべきはその総体としての「交響曲の道」なのです。&lt;br /&gt;
そして、そのことは弦楽四重奏曲においても同様なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おそらく、ハイドンの初期や中期の弦楽四重奏曲を次々と聞かされればうんざりする人もいるでしょう。しかし、それを我慢して聞き続けてくれることでハイドンの「弦楽四重奏曲の道」が少しずつ見えてきたならば、そういう初期・中期作品の魅力を感じ取っていただけるでしょう。そして、彼の業績はそういう一つの様式にチャレンジし続けた総体としてとらえてこそ、ハイドンの姿が本当に理解できるのではないかと思うのです。</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5892">
        <dc:format>text/html</dc:format>
        <dc:date>2026-06-16T15:00:00+00:00</dc:date>
        <dc:source>http://www.yung.jp/index.php</dc:source>
        <dc:creator></dc:creator>
        <title>ベｰトｰベン:リギーニのアリエッタ「恋人よ来たれ」による24の変奏曲 WoO 65(Beethoven:24 Variations on Righini's Arietta Venni amore, WoO 65)&gt;&gt;&gt;(P)アルフレッド・ブレンデル 1958年&amp;1960年録音(Alfred Brendel:Recorded on 1958 &amp; 1960)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5892</link>
        <description>&lt;h3&gt;ベートーベンのピアノ変奏曲&lt;/h3&gt;ベートーベンは若い頃を中心に数多くの「ピアノのための変奏曲」を作曲しているのですが、その後も折に触れてこの形式によるピアノ曲を残しています。その中でも、とりわけ重要であり、しかしながら最後まで聞き通すにはかなりの忍耐を強いられるのが「ディアベリ変奏曲」でしょう。&lt;br /&gt;
しかしながら、あれはベートーベンの「ピアノのための変奏曲」の中においてみればモンスター的に異形なる存在であって、その大部分は当時の聴衆に人気のあったオペラなどの一節をテーマにしたものが大部分でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「変奏」とは一般的には「ある旋律のリズム、拍子、旋律、調子、和声などを変えたり、さまざまな装飾を付けるなどして変化を付けること」とされています。しかし、ベートーベンの「変奏曲」というジャンルにおける探求を跡づけていくと、「変化をつける」などと言う範疇に留まらないことに気づかされます。&lt;br /&gt;
いや、確かに最初は、オペラなどから拝借した旋律を面白おかしく変化させて聴く人の耳を楽しませる所からスタートしています。しかしながら、その到達点である「ディアベリ変奏曲」を聴くとき、そこには面白おかしく変化をつけて聴く人の耳を楽しませるなどという姿勢は吹き飛んでいます。&lt;br /&gt;
それでは、そこでベートーベンは何をしようとしたのかといえば、それは主題が内包する可能性を徹底的に汲み尽くすことでした。&lt;br /&gt;
よく知られているように、ディアベリによって示された「テーマ」は実に単純で陳腐なもののように見えました。しかしながら、外面的には「陳腐で単純」に見えたテーマの中に豊かな可能性をかぎつけたのがベートーベンの天才でした。&lt;br /&gt;
そのテーマが単純であるがゆえに、それを様々な音楽的スタイルの中においてみることが可能であり、そのスタイルによってはディアベリのテーマはほとんど姿を消しているように見えながらも、それもまた主題の可能性を最大限に追求した結果であるような音楽になっているのです。&lt;br /&gt;
そして、その最後の到達点と若い頃の作品を並べてみれば、ベートーベンという音楽家がその生涯においてどれほど長い距離を歩いたかが分かるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ベートーベンにとって「ピアノ・ソナタ」という形式は常に実験の場であったのですが、「ピアノのための変奏曲」はそれ以上に実験的な場だったのかも知れません。そして、その実験的性格ゆえに、例えば「ハ短調変奏曲」と呼ばれることもある中期の作品などには作品番号を与えなかったのかも知れません。&lt;br /&gt;
そう考えれば、ベートーベンのこのジャンルにおける歩みを辿ってみることも意味あることなのかも知れません。&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;ベｰトｰベン:リギーニのアリエッタ「恋人よ来たれ」による24の変奏曲 WoO 65&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
ベートーヴェンの初期ピアノ作品の中でも最大級の規模と難易度を誇る傑作です。&lt;br /&gt;
当時、ボンの宮廷音楽家だった青年ベートーヴェンが、自らの卓越したピアノ奏法を世に知らしめるために書いた「名刺代わり」の一曲とも言えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主題となったのは、当時ヨーロッパ全土で人気のあったイタリアの作曲家ヴィンチェンツォ・リギーニのアリエッタ「恋人よ来たれ（Venni amore）」です。&lt;br /&gt;
非常に優雅で軽快な、典型的なイタリア風の旋律です。&lt;br /&gt;
ベートーヴェンはこの単純な主題を使い、それまでの変奏曲の概念を打ち破るような、極めて技巧的でシンフォニックな展開を見せました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「24」という変奏の数は、当時の基準からしても異例の多さです。全曲を通して演奏すると20分近くかかり、初期作品とは思えないほどの重厚感があります。最後の変奏は非常に長く、単なる変奏の枠を超えて、即興的なファンタジーや壮大な終結部（コーダ）へと発展します。&lt;br /&gt;
また、重音、素早いアルペジオ、跳躍、交差など、当時のピアノ演奏の限界に挑むようなパッセージが連続します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曲には有名な逸話があります。&lt;br /&gt;
1791年、ベートーヴェンは当時の名ピアニスト、アボ・ステルケルと出会います。&lt;br /&gt;
ステルケルは「この変奏曲は難しすぎて、作曲者本人でも弾けないのではないか」と疑いました。それに対し、ベートーヴェンは涼しい顔でこの難曲を即興的な装飾を交えながら完璧に弾きこなし、聴衆を驚愕させたと言われています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この作品は、後に書かれる「ディアベリ変奏曲」や「エロイカ変奏曲」へと繋がる、ベートーヴェンの「変奏技法の実験場」としての側面を持っています。&lt;br /&gt;
単なる主題の装飾に留まらず、主題の骨組みを解体し、全く新しい性格へと変貌させる「性格変奏」の萌芽が強く感じられます。</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5891">
        <dc:format>text/html</dc:format>
        <dc:date>2026-06-14T15:00:00+00:00</dc:date>
        <dc:source>http://www.yung.jp/index.php</dc:source>
        <dc:creator></dc:creator>
        <title>ボッケリーニ:チェロ・ソナタ第1番 イ長調, G.13(Boccherini:Cello Sonata No. 1 in A Major, G. 13)&gt;&gt;&gt;(Cell)エンリコ・マイナルディ:(P)カルロ・ゼッキ 1952年録音(Enrico Mainardi:(P)Carlo Zecchi Recorded on 1952)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5891</link>
        <description>&lt;h3&gt;伴奏楽器から主役へ&lt;/h3&gt;ルイジ・ボッケリーニのチェロソナタは、チェロという楽器を「伴奏楽器から主役への完全な脱皮」を果たしたともいえる重要な作品です。&lt;br /&gt;
ボッケリーニは通奏低音を支えるだけの楽器だったチェロを、ヴァイオリンに匹敵する高音域での旋律演奏を要求して主役になりうるポジションを与えました。さらに、素早いパッセージや重音奏法、そして独自の美しいフラジオレットなど、当時のチェロの限界に挑むような超絶技巧を盛り込んでいきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自らがチェロのヴィルトゥオーゾだったボッケリーニは30曲を超えるチェロ・ソナタを通して、わき役から主役への道を切り開いていったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;チェロ・ソナタ第1番 イ長調 G. 13&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
このイ長調のソナタ G.13はボッケリーニの代表作である「チェロ協奏曲 イ長調 G.475」との密接な関係にあります。&lt;br /&gt;
ソナタ G.13の第1楽章の主題や主要な楽想が、協奏曲 G.475の第1楽章にそのまま流用されているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボッケリーニはこのイ長調のメロディとチェロの響きのマッチングを非常に気に入っていたため、大舞台用の協奏曲へと昇華させたと考えられています。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1楽章：Allegro&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	チェロの開放弦の響きを活かした、明るく開放的なイ長調のアルペジオ（分散和音）で始まります。&lt;br /&gt;
	聴き進めると「チェロ協奏曲イ長調」のあのドラマチックで華やかな旋律がそのまま現れます。&lt;br /&gt;
	独奏チェロがまるで一人でオーケストラと渡り合っているかのような、スケールの大きな推進力を持った楽章です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2楽章：Largo&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	一転して、同主調のイ短調へと移ります。ボッケリーニの短調の緩端楽章の中でも、屈指の美しさを誇る瞑想的な楽章です。&lt;br /&gt;
	ため息をつくような切ないメロディが、細やかな装飾音で飾られながら紡がれます。&lt;br /&gt;
	技巧を誇示するのではなく、楽器を極限まで「歌わせる」ボッケリーニの抒情性が際立っています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3楽章：Minuetto / Allegro&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	一見、優雅な宮廷舞踏会を思わせるメヌエットのステップで始まりますが、そこはボッケリーニ、単なるお上品なダンスでは終わりません。&lt;br /&gt;
	メヌエットのテーマが繰り返される中で、主奏チェロには非常に素早い16分音符のパッセージや、目の覚めるような高音域への跳躍が次々と課され、華々しくもエレガントに全曲を締めくくります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5890">
        <dc:format>text/html</dc:format>
        <dc:date>2026-06-12T15:00:00+00:00</dc:date>
        <dc:source>http://www.yung.jp/index.php</dc:source>
        <dc:creator></dc:creator>
        <title>ベートーベン：ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97(Beethoven:Piano Trio No.7, Op.97 in B-flat major &quot;Archduke&quot;)&gt;&gt;&gt;(Vn)ダヴィド・オイストラフ (P)レフ・オボーリン (Cello)スヴィヤトスラフ・クヌシェヴィツキー 1958年5月9日~10日&amp;12日録音((Vn)David Oistrakh:(P)Lev Oborin (Cello)Sviatoslav Knushevitsky Recorded on May 9-10&amp;12, 1958)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5890</link>
        <description>&lt;h3&gt;謎の多い作品&lt;/h3&gt;交響曲の分野で言えばそれは疑いもなく「エロイカ」です。当時の人々は、あんなにも素晴らしい交響曲（第1番・2番）を書いた男がどうしてこんなわけの分からない音楽を書いたのだと訝しく思ったと伝えられています。&lt;br /&gt;
そして、その後もこのジャンルでは驚くような作品を次々と生み出していきました。その意味でも、交響曲こそはベートーベンにとっての主戦場だったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事情は室内楽の世界でも同様です。&lt;br /&gt;
弦楽四重奏曲ではそれは「ラズモフスキー」であり、ヴァイオリンソナタならば「クロイツェル」です。&lt;br /&gt;
ピアノソナタならば、「アパショナータ」や「ワルトシュタイン」が上げられるでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、ピアノソナタや弦楽四重奏曲の分野では最晩年にもう一度「爆発」をおこすのです。ただし、その「爆発」は外に向かってではなく己の内部に向かって光を投げかけたのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、ピアノ三重奏曲の分野ではそれは疑いもなく「大公」でした。&lt;br /&gt;
そして、このジャンルほど、爆発以前と以後との落差が大きなジャンルはなかったように思います。&lt;br /&gt;
それ以外のジャンルでは、どこか次の爆発を予感させる「予兆」みたいな者がありましたが、このピアノ・トリオにおいてはそれは突然やってきたのです。&lt;br /&gt;
そして、そうであったからこそかもしれませんが、この爆発は勇壮なる打ち上げ花火のように夜空を彩りながら、後には幽かな余韻しか残さずに、彼はこのジャンルから去ってしまうのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういう事情があるからでしょうか、この作品は少しばかり謎めいています。&lt;br /&gt;
「大公」というあだ名は、これがルドルフ大公に献呈されたことに由来します。そして、献呈されたルドルフ大公はこの作品に深く感動したと伝えられています。しかし、それは当然のことであって、この作品はピアノ三重奏曲という狭いジャンルだけでなく、室内楽作品全体を見回しても屈指の名作であることは疑いがないからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作品冒頭のピアノで歌いだされる雄大なテーマが聞き手の心をがっちりととらえます。そして、何よりも魅力的なのはアンダンテ・カンタービレと指定された第3楽章の美しさです。これを聞いて深く感動しない人がいるならば、その事の方が不思議です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、そのように優れた作品でありながら、公式の初演は作品完成後の3年後なのです。ちなみに、この演奏会ではピアノを作曲者自身が担当しているのですが、ベートーベンがピアニストとして公開演奏を行った最後となったものです。さらに、出版はその2年後の1816年にまでずれ込んでいるのです。&lt;br /&gt;
この「遅さ」は他の作品と比べると異例とも言えるもので、作品の素晴らしさを考え合わせると、実に不思議な気がします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まあ、これはもう全くの想像の域を出ませんが、もしかしたら献呈を受けたルドルフが、その素晴らしさ故に独り占めをしたかったのかもしれません。もちろん、そんなことを示す資料は何一つ残っていないので全くの妄想の域を出ませんが・・・。&lt;br /&gt;
しかし、そう言う妄想を逞しくしたくなるほどに、素晴らしい作品だということです。</description>
    </item>
</rdf:RDF>
